正徳金銀の発行とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 正徳金銀の発行の意味・解説 

正徳金銀の発行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:40 UTC 版)

正徳の治」の記事における「正徳金銀の発行」の解説

家宣将軍就任すると、綱吉期に老中格であった柳沢吉保隠居し側用人松平忠周松平輝貞先代5代将軍徳川綱吉権臣更迭したが、勘定奉行には他に適任者がいないということ引き続き荻原重秀留任していた。 荻原重秀元禄期、今までの高純度慶長金銀回収し金銀含有率の低い元禄金銀発行し家宣時代になってからも将軍承諾取り付けることなく独断宝永金銀発行し幕府財政欠損を補うという貨幣政策をとった結果、約500万両新井白石による推定もしくは580万両荻原重秀による推計)の出目貨幣改鋳による差益)を生じ一時的に幕府財政潤したが、一貫して金銀純度下げ方向改鋳をし続けた結果実態経済規模発行通貨量が著しく不釣合いになりインフレーション発生していた。また、荻原御用商人からの収賄貨幣改鋳に関して巨額利益収めたなど汚職の噂が絶えなかった(白石著「折たく柴の記」による。荻原政争続けた本人資料であることにも留意)。一方で荻原政策によるインフレ経済成長に伴う常識的な範囲コントロールされており、それらは市場経済発展で「通貨」の需要増えていった時代ニーズとらえていたという論考もある(「荻原重秀」の項目も参照)。 白石荻原を「有史以来奸物」「極悪人」と断じ荻原罷免すべきという上申書提出すること3度におよび、最後に荻原罷免なければ殿中荻原暗殺する迫ったため、家宣正徳2年1712年)に荻原罷免した。その後荻原は罪を問われ下獄するが、取調べやり方などは極めて異例で、白石政治的陰謀指摘する説もある。他にも様々な説があり、歴史解析待たれている。ようやく貨幣政策に関してイニシアティブ握った白石貨幣含有率元に戻すよう主張有名な正徳金銀新井建言発行されたもので、これによってデフレーション発生した市場貨幣流通量を減らすべくその方法として貨幣純度元に戻す要は感じていたが、これを一気行えば経済界与え悪影響計り知れず、元禄金銀宝永金銀回収と新金銀交換少なくとも20年はかけて徐々に行うように提言している。事実元禄金銀宝永金銀あわせて金2545万両、銀146貫)と比較すると、正徳の治の間に行われた改鋳量は正徳小判一分金合わせて21万両である。ただし、これは初期正徳前期鋳造量であり、品位若干上げた正徳後期享保金)は828万両になる(『吹塵録』、『貨幣秘録』など)。また、正徳銀の鋳造量33貫余である。社会全体GDP上昇する中で、額面としての通貨供給量減少したのは確かであり、デフレ引き起こした徳川吉宗将軍就任し新井白石罷免された後、吉宗白石良貨政策について引き継ぎ、むしろ正徳金銀通用について一段と強力な措置講じた享保3年1718年)に通用金銀を正徳金銀にした上で享保7年末(1723年2月4日)に元禄宝永金銀通用停止させた。吉宗推進した享保の改革緊縮財政により米価下落本格的なデフレ不況となった

※この「正徳金銀の発行」の解説は、「正徳の治」の解説の一部です。
「正徳金銀の発行」を含む「正徳の治」の記事については、「正徳の治」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「正徳金銀の発行」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「正徳金銀の発行」の関連用語

正徳金銀の発行のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



正徳金銀の発行のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの正徳の治 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS