正思惟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 08:35 UTC 版)
正思惟(しょうしゆい, 巴: sammā-saṅkappa, 梵: samyak-saṃkalpa)とは、正しく考え判断することであり、出離(離欲)を思惟し無瞋を思惟し、無害(アヒンサー)を思惟することである。逆に避けるべき思考は邪思惟(micchāsaṅkappo)である。 Katamo ca bhikkhave, sammāsaṅkappo: yo kho bhikkhave, nekkhammasaṅkappo avyāpādasaṃkappo, avihiṃsāsaṅkappo, ayaṃ vuccati bhikkhave, sammāsaṅkappo. 比丘たちよ、正思惟とは何か。出離、無瞋、無害を正思惟とよぶ。 出離思惟(巴: nekkhamma saṅkappa) 無瞋思惟(巴: abyāpāda saṅkappa) 無害思惟(巴: avihiṃsā saṅkappa) このうち出離とはパーリの原文ではnekkhamma(ネッカンマ)で、世俗的なものから離れること(デタッチメント)を意味する。財産、名誉、など俗世間で重要視されるものや、感覚器官による快楽を求める「五欲」など、人間の俗世間において渇望するものの否定である。これら3つを思惟することが正思惟である。 Katame ca thapati, akusalasaṅkappā: kāmasaṅkappo byāpādasaṅkappo vihiṃsāsaṅkappo, ime vuccanti thapati akusalasaṅkappā 棟梁(パンチャカンガ)よ、邪思惟とは何か。欲思惟、瞋思惟、害思惟。棟梁よ、これが邪思惟である。 欲思惟(巴: kāmasaṅkappo) - 自然な範囲を超えた欲。 瞋思惟(巴: vyāpādasaṅkappo) - 憎しみ。自己愛憤怒。 害思惟(巴: vihiṃsāsaṅkappo) - 怒り。自分にとって邪魔な相手を排除したいという攻撃心。
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