橋本龍太郎のコメントや事実認識およびその批判
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「ペルー早稲田大学探検部員殺害事件」の記事における「橋本龍太郎のコメントや事実認識およびその批判」の解説
内閣総理大臣の職にあった橋本龍太郎は事件の報に接し、1997年12月28日に記者団の前で「ペルーはMRTAだけでなくほかにもテロ組織があって、当然、政府軍との間でピリピリしている。十分事前に準備して最小限にとどめる必要がある。十分事前に準備をできていたのか、冒険好きの僕からみると疑問に思う」と述べた。だが実際には営利目的の正規軍兵士に殺害されている。 これに対して、被害者Bの父親は「日本を導く人間の発言が、たとえ戯言であっても、死者に対し、あの様な暴言を吐くべきではないと思います。絶対に許せません。怒髪天を衝く憤りを覚えます」と毅然とした態度で反論した。また探検部のOBで小説家西木正明は「総理は我々の後輩の活動を猿岩石のようなショービジネスの世界の流れのものと同一視されているのではないでしょうか。そんないい加減なクラブだと思われては心外です」とインタビューに応えた。 さらに小説家船戸与一をはじめ、小説家西木正明、ジャーナリストで鎌倉市長であった竹内謙、ジャーナリスト恵谷治ら探検部OB会有志47人の連名で、「内閣総理大臣・橋本龍太郎にたいする糾弾文」〔ママ〕を1998年1月26日発売の『週刊ポスト』183ページに意見広告として掲載した。糾弾文の文責は船戸与一。以下に、意見広告の内容の後半一部を抜粋し引用、以下に示す。 惨殺が勤務中の国軍兵士による組織ぐるみだったということの意味をまるでわかっていない。事前準備云々という次元をとっくに越えたものだということに気づこうともしない。橋本龍太郎がまず行うべきだったのはペルー政府にたいして毅然たる抗議のはずなのである。それなのに彼はふたりの死者に唾するような説教ごかしの最低の談話を発表した。(中略)我々は糾弾する。第一に無能の罪で、第二に放漫の罪で、第三に品性卑しき罪で。橋本に告ぐ。即刻内閣総理大臣を辞任せよ。われわれはこのようなあまりにもレベルの低い人間に統治されつづけることに、もはや耐えられない。 — 探検部OB会有志47名、「内閣総理大臣・橋本龍太郎にたいする糾弾文」『週刊ポスト』第30巻第5号、小学館、1998年2月6日、 183頁。 自身の対応の不備や能力不足などを指摘された橋本総理大臣は意見広告が掲載された翌日、記者団の前で事前に用意した釈明文を読み上げた。内容は「報道されたのは記者諸君への発言の一部に過ぎず、犠牲者の方に説教を行なう趣旨ではなかった。不快な思いをされたというのであれば、それは自分の本意ではなかったことをご理解いただきたい」というものであった。 作家の大石英司は、自身のエッセイにおいて「橋本総理の発言があちこちで批判されていますけれど、そんなに目くじら立てなければならんような発言だろうか?」と疑問を呈している。 四日市大学助教授の富田与は、橋本の最初の談話は2つの問題があると指摘した。ひとつは、「この事件でAとBの2名は、テロリストや麻薬密輸人と誤認されて殺されたのではなく、兵士の営利目的での犯罪で殺されたこと。従って、「テロ」や「現地での緊張状態」とは直接関係がない」という首相が誤った認識を持っていたという問題。もうひとつは「事件の責任があたかも殺害されたAとBの2名の軽率さにあったかのようなメッセージを含んでいる。本来問われるべきペルー政府およびペルー軍とその最高責任者であるフジモリ大統領の責任を不問に付している」という問題点であった。
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