橋上駅舎化以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:19 UTC 版)
1987年に橋上駅舎化される以前は、各ホームが離れた状態で設置されていた。駅開業当初は構内踏切で各ホームを連絡していたが、この構内踏切には遮断機はなく、係員が手動で柵をスライドさせていた。ただ、危険が伴うので1960年12月に地下道が設けられ、各ホームの連絡はこちらを使用するようになった。ただし、構内踏切も今津線分断化まではラッシュ時や阪急西宮球場(のちの阪急西宮スタジアム)での野球・競輪やイベント開催時には使用されていた。改札口は、神戸本線北側に地下の東改札口と地上の西改札口、元臨時改札口付近に設置された地上の南改札口の、計3か所あった。また、地下道上の明かり取り窓の上には花壇が設けられていた。これらの地下道は、1984年の平面交差解消後も1年間使用され、1985年の橋上駅舎落成により閉鎖された。さらに、神戸本線と今津線の列車同士が衝突するのを避けるため、それぞれの平面交差手前に脱線転轍器(脱線ポイント)が設けられていた。 神戸本線:1 - 4号線 南北に結ぶ今津線を挟んで、東側に神戸方面行きホーム(1・2号線)、西側に大阪方面行きホーム(3・4号線)が存在していた。1号線と4号線は現在と同様に両側をホームで挟む構成で、外側のホームが降車専用となっていた。ただし、当時は神戸側に折り返し線はなく、折り返しの車両はいったん神戸側に引き上げ、本線上で直接折り返しを行っていた。 既に宝塚本線・京都本線で実施されていた10両編成運転を神戸本線でも実施するため、1984年に平面交差を解消。1985年に橋上駅舎化された際に、1・2号線ホームは現在の位置である3・4号線の南側に移動した。さらに地下道入口閉鎖工事とともにホームを延長して10両編成対応とした。また3・4号線も、大阪側にホームが延伸された。 今津線:5 - 7号線、旧8号線 上下線とも東西に結ぶ神戸本線を挟んで北側にあり、西側から7号線降車ホーム、7号線・6号線(宝塚方面)ホーム、5号線(今津方面)ホームとなっていた。7号線はかつて神戸方面と線路が繋がっていたが、1959年冬に分断され、以降は当駅止まりの列車の発着に使用された。なお、宝塚方面からで当駅止まりの運行列車は基本的に7号線に入線していたが、すぐ隣の西宮車庫に入庫する列車は5号線で折り返していた。また、1977年に今津線6両編成化による駅改良工事を実施するまでは7号線の西側に旧8号線が存在しており(これも神戸方面と線路が繋がっていた。跡地には駅ビルが建っている)、ラッシュ時の折り返し用、および西宮車庫から、今津線に電車を入れる際に、使用されていた。 1984年の平面交差解消後に6号線の線路部分は埋められ、現在の6・7号線乗車用ホームとなった。また同様に旧5号線ホームは6号線降車ホームとなっている。なお、線路の位置自体は、6号線降車ホームを拡幅するため、後の工事で元の5号線よりも若干西側に移動している。 旧8号線は、かつては神戸本線上り線と線路が繋がっており、これらの線を使用して、週末には宝塚 - 神戸間直通普通列車が運行されていた。京都 - 宝塚間を神戸本線・今津線経由で直通する「歌劇特急」も、宝塚から京都へ向かう場合はこれらの線を経由していったん神戸本線に入線し、当駅での客扱いを行っていた。また、9号線と合わせてデルタ線(三角線)を形成していたことから、これを用いて京都線用の100形(P-6形)を方向転換したこともある。これらの神戸側の連絡線機能は、1968年の神戸高速鉄道乗り入れ開始に伴うダイヤ改正で、歌劇特急や宝塚 - 神戸間直通普通列車の運転中止に伴い廃止され、折り返し専用となった。
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