樺太千島交換条約以降の沿革
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「得撫郡」の記事における「樺太千島交換条約以降の沿革」の解説
明治9年(1876年)1月14日 - 得撫郡が設置され、千島国の所属となる。 明治10年(1877年) - 条約附録に従い、得撫島にあった千島アイヌの村落がロシア領に移住し、郡内は無人となる。 明治11年(1878年)から明治13年(1880年)にかけ、栖原家が得撫島で漁場14 か所を開いた。 かけて 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての得撫郡が発足。 明治13年(1880年)7月 - 根室郡外八郡役所(根室花咲野付標津目梨国後得撫新知占守郡役所)の管轄となる。 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により根室県の管轄となる。 明治18年(1885年)1月 - 根室郡外九郡役所(根室花咲野付標津目梨国後得撫新知占守色丹郡役所)の管轄となる。 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁根室支庁の管轄となる。 2月 - 根室支庁が廃止。 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、根室支庁の管轄となる。 大正5年(1916年) - ラッコ、オットセイほかの狩猟が禁止され、農水省による越年が新知郡と併せて6ヶ所13人で開始。 昭和18年(1943年) - 得撫島北端のカラス岬で飛行場建設が始まる。 昭和20年(1945年)9月2日 - 日本政府が降伏文書に調印、同時に一般命令第1号により、ソ連占領下となる。 昭和21年(1946年)1月29日 - GHQ指令第677号により、日本政府の行政権が正式に停止。 2月2日 - ソ連が自国領(サハリン州)編入を宣言。 昭和27年(1952年)4月28日 - サンフランシスコ講和条約に領有権放棄を明記される。ただし、ソ連(現在のロシア)は未調印。現在も平和条約は未締結で日ロ国境は未画定。 平成22年(2010年)4月1日 - 「北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例(平成21年3月31日公布)」と「財務省組織規則の一部を改正する省令(平成21年10月26日 財務省令第67号)」により法令上も消滅。
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