樺太千島交換条約以降の沿革とは? わかりやすく解説

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樺太千島交換条約以降の沿革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:31 UTC 版)

得撫郡」の記事における「樺太千島交換条約以降の沿革」の解説

明治9年1876年1月14日 - 得撫郡設置され千島国所属となる。 明治10年1877年) - 条約附録従い得撫島にあった千島アイヌ村落ロシア領に移住し郡内無人となる。 明治11年1878年)から明治13年1880年)にかけ、栖原家が得撫島漁場14所を開いた。 かけて 明治12年1879年7月23日 - 郡区町村編制法北海道での施行により、行政区画としての得撫郡発足明治13年1880年7月 - 根室郡八郡役所根室花咲野付標津目国後得撫新知占守郡役所)の管轄となる。 明治15年1882年2月8日 - 廃使置県により根室県管轄となる。 明治18年1885年1月 - 根室郡外九郡役所根室花咲野付標津目国後得撫新知占守色丹郡役所)の管轄となる。 明治19年1886年1月26日 - 廃県置庁により北海道庁根室支庁管轄となる。 2月 - 根室支庁廃止明治30年1897年11月5日 - 郡役所廃止され根室支庁管轄となる。 大正5年1916年) - ラッコオットセイほかの狩猟禁止され農水省による越年新知郡併せて6ヶ所13人で開始昭和18年1943年) - 得撫島北端カラス岬で飛行場建設が始まる。 昭和20年1945年9月2日 - 日本政府降伏文書調印同時に一般命令第1号により、ソ連占領下となる。 昭和21年1946年1月29日 - GHQ指令第677号により、日本政府行政権正式に停止2月2日 - ソ連自国領(サハリン州編入宣言昭和27年1952年4月28日 - サンフランシスコ講和条約領有権放棄明記される。ただし、ソ連現在のロシア)は未調印。現在も平和条約は未締結日ロ国境は未画定平成22年2010年4月1日 - 「北海道総合振興局及び振興局設置に関する条例平成21年3月31日公布)」と「財務省組織規則一部改正する省令平成21年10月26日 財務省令67号)」により法令上も消滅

※この「樺太千島交換条約以降の沿革」の解説は、「得撫郡」の解説の一部です。
「樺太千島交換条約以降の沿革」を含む「得撫郡」の記事については、「得撫郡」の概要を参照ください。

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