検視・物証・逮捕容疑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 09:18 UTC 版)
翌日の11月26日の午前11時20分から13時25分まで、慶応義塾大学病院法医学解剖室にて、三島の遺体を斎藤銀次郎教授、森田の遺体を船尾忠孝教授が解剖執刀した。その検視によると、2人の死因は、「頸部割創による離断」で、以下の所見となった。 三島由紀夫:頸部は3回は切りかけており、7センチ、6センチ、4センチ、3センチの切り口がある。右肩に刀がはずれたと見られる11.5センチの切創、左アゴ下に小さな刃こぼれ。腹部はヘソを中心に右へ5.5センチ、左へ8.5センチの切創、深さ4センチ。左は小腸に達し、左から右へ真一文字。身長163センチ。45歳だが30歳代の発達した若々しい筋肉。脳の重さ1440グラム。血液A型。 森田必勝: 第3頸椎と第4頸椎の中間を一刀のもとに切り落としている。腹部の傷は左から右に水平、ヘソの左7センチ、深さ4センチの傷、そこから右へ5.4センチの浅い切創、ヘソの右5センチに切創。右肩に0.5センチの小さな傷。身長167センチ。若いきれいな体。 — 解剖所見(昭和45年11月26日) 三島は、小腸が50センチほど外に出るほどの堂々とした切腹だったという。また一太刀が顎に当たり大臼歯が砕け、舌を噛み切ろうとしていたとされる。 介錯に使われた日本刀・関孫六は、警察の検分によると、介錯の衝撃で真中より先がS字型に曲がっていた。また、刀身が抜けないように目釘の両端を潰してあるのを、関孫六の贈り主である渋谷の大盛堂書店社長・舩坂弘が牛込警察署で確認した。 刀剣鑑定の専門家・渡部真吾樹は、この刀の刀紋は「三本杉」でなく、「互の目乱れ」だとし、刀の地もかなり柔らかく、関孫六の鍛え方とは違うと鑑定した。他にも、この刀が本物の関孫六ではないとする専門家の断言や、刀の出所調査もあり、三島が贋物をつかまされていたという説は根強くある。 小賀正義、小川正洋、古賀浩靖の所持品には、三島が3名に渡した「命令書」と現金3万円ずつ(弁護士費用)、特殊警棒各自1本ずつ、登山ナイフなどがあった。小賀への命令書には主に、以下の文言が書かれてあった。 君の任務は同志古賀浩靖君とともに人質を護送し、これを安全に引き渡したるのち、いさぎよく縛に就き、楯の会の精神を堂々と法廷において陳述することである。今回の事件は楯の会隊長たる三島が計画、立案、命令し、学生長森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上当然のことなるも、森田必勝の自刃は自ら進んで楯の会全会員および現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範をたれて青年の心意気を示さんとする鬼神を哭かしむる凛烈の行為である。三島はともあれ森田の精神を後世に向かつて恢弘せよ。 — 三島由紀夫「命令書」 小賀正義、小川正洋、古賀浩靖の3名は、嘱託殺人、不法監禁、傷害、暴力行為、建造物侵入、銃刀法違反の6つの容疑で、11月27日に送検され、その後12月17日に、嘱託殺人、傷害、監禁致傷、暴力行為、職務強要の5つの罪で起訴された。
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