東洋活性白土
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東洋活性白土(とうようかっせいはくど)は、新潟県糸魚川市で活性白土と酸性白土を製造販売していた企業である[4]。本社と工場は同所にあった[2]。1982年(昭和57年)10月に経営上の問題により会社は解散し[6]、工場は閉鎖された[7]。
- ^ a b c d e 「議事日程第1号」『平成19年 第2回糸魚川市議会臨時会会議録 第1号』平成19年5月18日 10am 開議、糸魚川市、p36、PDF:p18/43、2022年8月24日閲覧。より。
- ^ a b c d e f g h i 『ナローゲージ・モデリング』(p104)より。
- ^ 村岡誠、高橋博「新潟県糸魚川絹雲母鉱床調査報告」『地質調査所月報』第6巻第8号、p37-(481)、PDF:p1/4、2022年8月24日閲覧。より。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『工鉱業関係会社報告書』より。
- ^ a b 『糸魚川市の歴史』「大正年間」〔1925年〕を参照。
- ^ a b c d 「羅須地人鉄道協会とは - ふたつの蹉跌」『羅須地人鉄道協会まきば線』、羅須地人鉄道協会、2009年11月25日(水)閲覧。より。
- ^ a b c 『森林鉄道からトロッコまで』(p70)より。
- ^ a b c d e f g 『ナローゲージ・モデリング』(p107)より。
- ^ a b c 「東洋活性白土2号機」『産業技術の歴史』〈資料番号:100910131450〉、国立科学博物館、2022年8月24日閲覧。より。
- ^ a b イベント列車用や観光施設用ではない蒸気機関車。
- ^ 資本金は「貸借対照表」、当期純益金は「損益計算書」と「貸借対照表」、借入金は「貸借対照表」、採掘権は「貸借対照表」、債格別精算額は「1930年(昭和5年)以降各年度における主要生産品目別、債格別生産額」、製品販売高は「損益計算書」より。
- ^ 吉見惣太郎「糸魚川昔物語 10 - 駅前通りのむかし」『広報いといがわ』No.409 1989年1月10日号、糸魚川市。-『糸魚川市史 - 昭和編〈デジタル版〉』「トップ > 広報連載企画 > 糸魚川昔物語 > 10 駅前通りのむかし」に収録。
- ^ 「酸性白土とベントナイト - 粘土質鉱物資源」より。
- ^ 『粘土科学への招待』(p193)より。
- ^ 『岩石学辞典』(p174)より。
- ^ 『岩石学辞典』(p181, p182)より。
- ^ 『粘土科学への招待』(p44)より
- ^ 『粘土科学への招待』(p178)より。
- ^ a b 糸魚川市史編集委員会編『糸魚川市史. 昭和編 2』2006年3月
- ^ a b c d e 『糸魚川市史 - 昭和編〈デジタル版〉』より。
- ^ 1936年(昭和11年)に楠木製作所で製造された3.5t機。羅須地人鉄道協会の前身である全日本小型機関車研究会が台湾の基隆炭鉱(きーるんたんこう)で使用されていた本機を輸入した --「黎明期の活動」『羅須地人鉄道協会とは』羅須地人鉄道協会 。2009年12月28日(月)閲覧。および「3号機」『蒸気機関車』、羅須地人鉄道協会、2009年12月28日(月)閲覧。より。
- ^ 『糸魚川市史 - 昭和編〈デジタル版〉』「トップ > 年表」より。
- ^ 『ナローゲージ・モデリング』(p107, p108)より。
- ^ 『ナローゲージ・モデリング』(p103)より。
- ^ 『ナローゲージ・モデリング』(p105)より。
- ^ a b c 『ナローゲージ・モデリング』(p106)より。
- ^ 『森林鉄道からトロッコまで』(p70)や『ナローゲージ・モデリング』(p103)ではこの呼称を使用している。
- ^ a b 『森林鉄道からトロッコまで』(p70)には「約300m」と記述されている。
- ^ 『楽しい軽便鉄道』(p129)より。
- ^ a b c d 『ナローゲージ・モデリング』(p111)より。
- ^ 多くの蒸気機関車は動輪の内側にフレームがあるが、本機は動輪の外側にフレームがある。
- ^ 『ナローゲージ・モデリング』(p114)より。
- ^ a b 「1号機(旧糸魚川1号機)」『羅須地人鉄道協会まきば線--蒸気機関車--』、羅須地人鉄道協会、2009年11月25日(水)閲覧。より。
- ^ “東洋活性白土のSL「1号機」動態復活、新潟・糸魚川から成田ゆめ牧場まきば線へ”. 鉄道プレスネット (2023年12月17日). 2023年12月20日閲覧。
- ^ “【御礼】「まきば線まつり」無事終了しました”. 羅須地人鉄道協会 (2023年12月18日). 2023年12月20日閲覧。
- ^ 『ナローゲージ・モデリング』(p108, p111)より。
- ^ 協三の製造番号は8086で、プレート上は昭和31年(1956年)製となっている。青木栄一が1960-61年に実施した調査では、当車の納入価格は1956年時点としても格安の75万円であり、また東洋活性白土の現場職員聞き取りでは「当車は協三工業のストック品である」との証言を得て、名目上の1956年より何年か早い時期に作られ、在庫処分的な意図で東洋活性白土に格安納入されたのではないかと推察、その後やはり鉄道趣味人である瀬古龍雄(1961年当時は新潟県園芸試験場職員。1951年時点は東北大学農学部在学中であった)から「協三工業を1951年10月26日に訪問した際に製造番号8086の同車を実見した」「当時は762mm軌間仕様であった」との証言を得て「1951年中に製造されたのではないか」と推察している。また青木は現車の寸法や構造から、本機が1947年の「産業車両工業会蒸気機関車規格委員会案」の「S6-B-610型」相当の標準型機関車であり、標準型でも最小形で「森林鉄道や建設工事用に使われる型」としている。(『最後の蒸気機関車をたずねて』青木栄一、「鉄道ピクトリアル」1961年10月号 p33-35)
- ^ 『森林鉄道からトロッコまで』(p71)より。
- ^ 鉄道ジャーナル1975年5月号・通巻98号「東洋活性白土のチビロコ守る‘きしゃぽっぽおじさん’」(計7P)の機関士の話では「5年前の大雪の日」とあるので、1970年1月か。編集補機(記)によれば、北陸線特集企画が決定したのが1974年12月、取材が1975年2月だという。
- ^ 本専用鉄道を訪れる一部のファンは予備機となって機関庫内で埃をかぶっている1号機の掃除などを行っていた --『ナローゲージ・モデリング』(p114)より。
- ^ a b 「出品目録 - F 輸送と鉄道」『大鉄道博覧会 - 昭和への旅は列車に乗って』〈特別展〉、江戸東京博物館、2007年7月10日 - 9月9日開催、PDF:p8/19、 オリジナルの2010年9月24日時点におけるアーカイブ。より。
- ^ 『大鉄道博覧会 - 昭和への旅は列車に乗って』江戸東京博物館〈特別展〉、2007年7月10日 - 9月9日開催。 オリジナルの2007年6月26日時点におけるアーカイブ 。2022年8月24日閲覧。より。
- ^ 「学校のあゆみ - 2007(平成19年)」『糸魚川小学校公式ホームページ』 。2009年11月25日(水)閲覧。より。
- ^ 「ミニSLくろひめ号について」『市長へのたより(行政・その他)』平成19年度《7月18日受付》、糸魚川市、2009年12月17日(木)閲覧。より。
- ^ “SLくろひめ号“復活”修繕終え糸魚川ジオパルに移設”. 新潟日報モア (2020年10月16日).[リンク切れ]
- ^ “工事実績 SLくろひめ号”. 猪又建設株式会社. 2022年8月24日閲覧。
- ^ 『ナローゲージ・モデリング』(p110, p111)より。
- ^ a b 『ナローゲージ・モデリング』(p109)より
- ^ 『ナローゲージ・モデリング』(p106, p107)より。
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