東フランク王国との戦争とフォルヒハイムの和約とは? わかりやすく解説

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東フランク王国との戦争とフォルヒハイムの和約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 11:15 UTC 版)

スヴァトプルク1世」の記事における「東フランク王国との戦争とフォルヒハイムの和約」の解説

まもなくスヴァトプルクが無実であることがわかり、カールマンは彼を解放した。スヴァトプルクをカロリング家縛り付けておくため、カールマンはスヴァトプルクに、自らの庶出の孫の代父務めさせた。そのため、このカールマンの孫、アルヌルフの子にあたる子どもは、スヴァトプルクのドイツ語ツヴェンティボルト名乗ることになった。 スヴァトプルクは、カールマン軍勢率いてモラヴィア戻り、スラヴォミールら自分裏切った反乱モラヴィア人たちを倒そうとした。しかし「ラスティスラフの古い都市」に到着したとき、東フランクから来て都市の外待機していたバイエルン人たちが反乱側と通じ、スヴァトプルクを裏切った都市カールマン助力により奪回したスヴァトプルクであったが、ここに至って彼はカールマンへの臣従破棄し城壁中にいながら膨大な数のモラヴィア軍を召集し城外バイエルン軍奇襲し破ったモラヴィア人多数バイエルン戦士捕虜とし、残余殺害しモラヴィアからフランク人勢力駆逐したカールマン派遣されていたヴィルヘルム2世とエンゲルシャルク1世殺害され、スヴァトプルクは名実ともに大モラヴィア支配者となった驚いたカールマン国中モラヴィア人質集めてスヴァトプルクのもとへ送ったが、代わりに帰ってきたのは半死半生の状態のラートボトという男一人けだった871年10月東フランクルートヴィヒ2世バイエルンフランケンの軍をボヘミア差し向けたフランケン軍はボヘミアのある要塞に続く隘路にいたモラヴィア一隊奇襲した。このモラヴィア軍はボヘミアの公(ドゥクス)の娘をモラヴィア連れて帰る途中だった。これはモラヴィアの大貴族結婚させるめだった考えられている。モラヴィア軍は何とか要塞逃げ込んだが、その際装備整えた644頭の馬を隘路置き去りにした。ボヘミア指導者モラヴィアの大貴族政略結婚結ぼうとしていたとすれば、これはスヴァトプルク1世ボヘミアとの同盟志していたことを示していると言えるルートヴィヒ2世スヴァトプルク1世重大な脅威になりつつあることに気づき872年多方面から軍を召集し翼包囲をかけるような形で、モラヴィア領内多方面から侵攻した。「モラヴィアスラヴ人」に対す第一陣は5月レーゲンスブルク出発したが、これに所属していたテューリンゲンザクセンの兵たちは、一回敵と遭遇しただけで逃げ去ってしまった。第二陣はフランケンの兵で構成されヴュルツブルク司教アルンフルダ修道院長シギハルトが指揮官となった。この軍はよく戦った大多数戦死し東フランク帰れた兵はほんの一握りかいなかった最後第三陣はカールマン率いバイエルンカランタニアの軍で、彼らはモラヴィアの地を灰燼となし、スヴァトプルク1世の軍を「きわめてよく防備固められ要塞」に逃げ込まざるを得なくさせた。しかしスヴァトプルク1世速やかに大軍召集しドナウ川の船を守るために残留していたレーゲンスブルク司教Emriacho指揮下のバイエルン人攻撃した873年5月教皇ヨハネス8世行方不明になっていたメトディオス所在探し乗り出した実のところメトディオスは、まだバイエルン囚人として留め置かれていた。ヨハネス8世厳し言葉連ねた書簡カールマンバイエルン司教たちに送りメトディオス即刻復位させるよう命じた。またヨハネス8世は、ルートヴィヒ2世とスヴァトプルクの間で和平を結ぶよう仲介入ったようである。ルートヴィヒ2世イタリアヴェローナヨハネス8世面会した後、フォルヒハイムという地へ赴いた。ここでフルダ年代記によればルートヴィヒ2世は「スヴァトプルク1世から和平条約求め使節迎えた」。両者の間で結ばれた和約詳細不明だが、おそらくスヴァトプルク1世ルートヴィヒ2世貢納する代わりにルートヴィヒ2世大モラヴィア対すあらゆる敵対行動取りやめる、という妥協策だったと考えられている。この結果モラヴィアへの帰還許されメトディオスは、比較平和な状況下で数年活動することができた。

※この「東フランク王国との戦争とフォルヒハイムの和約」の解説は、「スヴァトプルク1世」の解説の一部です。
「東フランク王国との戦争とフォルヒハイムの和約」を含む「スヴァトプルク1世」の記事については、「スヴァトプルク1世」の概要を参照ください。

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