本社周囲
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拝殿の半径200mより外側。 狭井神社(さいじんじゃ、位置)祭神:大神荒魂神 式内社「狭井坐大神荒魂神社五座」。病気平癒の神社。御神体である三輪山への登拝口が境内にある。但し、三輪山は御神体であり山そのものが神域であるため、軽率な気持ちで入山することは出来ない。(明治に渡るまで「神域」として一般の入山禁止であった。)登拝料を払い受付より渡されるたすきを首にかけるなどの厳守すべき規則があり、それを了承した上で登拝することが義務づけられている。なお、入山中は撮影・飲食は禁止である。 大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ、位置、重要文化財)別名:若宮社(わかみやしゃ) 祭神:大直禰子・少彦名命・活玉依姫命 三輪明神の神宮寺の一つである大輪寺(おおみわでら)として創建された。鎌倉時代に叡尊が本堂の修復に携わり、それを機に寺名を大御輪寺(だいごりんじ)に改めた。神仏分離と廃仏毀釈によって廃寺とされ、本尊であった現在国宝となっている十一面観音菩薩立像を慶応4年(1868年)5月に現・桜井市の聖林寺に移している。同年、昔から十一面観音と共に祀られていた大直禰子を祭神とする若宮社となった。次いで、1877年(明治10年)に大直禰子神社となった。かつての本堂である社殿は入母屋造本瓦葺きの仏堂形式で、数回にわたって大規模改修された末に室町時代に現在の形態になり、内陣の部材には奈良時代のものが含まれることが近年の解体修理に伴う部材調査で判明している。不要となった客殿が安倍文殊院に移築され、現在は奈良県指定有形文化財の本坊になっている。 神御前神社(かみのごぜんじんじゃ、位置)祭神:倭迹迹日百襲姫命 綱越神社(つなこしじんじゃ、位置)祭神:祓戸大神 式内社「綱越神社」。 檜原神社(ひばらじんじゃ、位置)祭神:天照大神若御魂神・伊弉諾尊・伊弉册尊 式内社「巻向坐若御魂神社」。初代元伊勢とされており、崇神天皇の時代、初めて皇祖神(天照大神)を皇宮の外で祀ったのがこの地といわれる。「檜原」は「日原」が変化したもので、江戸時代までは「日原神社」などと表記される場合があった。大神神社にはある拝殿すらなく、三ツ鳥居を通して直接三輪山を拝む(ご神体は山中の磐座である)。嘉禄2年(1226年)の「大三輪鎮座次第」に記載されている社伝に、大神神社について「当社(大神神社)古来宝倉無く、唯三箇鳥居有るのみ。奥津磐座は大物主大神、中津磐座は大己貴神、辺津磐座は少彦名神」とあることから、檜原神社には太古の大神神社の姿が遺されているといえる。なお境内には崇神天皇の皇女で天照大神の祭祀を司った豊鍬入姫命も祀られている。 高宮神社(こうのみやじんじゃ、位置)祭神:日向御子神 三輪山上に鎮座する。 玉列神社(たまつらじんじゃ、位置)祭神:玉列王子神・天照大御神・春日大神 式内社「玉列神社」。椿の木が多く、毎年3月に「椿まつり」が催される。 狭井神社 活日神社 磐座神社 大直禰子神社(若宮社、重要文化財) 檜原神社 神御前神社 神坐日向神社 綱越神社
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拝殿の半径200mより外側。 市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)祭神:宗像大神の一柱、市杵島姫命を祀る。 大行事社(だいぎょうじしゃ)祭神:事代主神、八尋鰐、加屋奈流美神 久延彦神社(くえひこじんじゃ)祭神:久延毘古命。合格祈願の神社。受験生や就活生の参拝が多く、たくさんのふくろうを模した絵馬が奉納される。 貴船神社(きぶねじんじゃ)祭神:淤加美神 ほか多数。 久延彦神社 神宝神社 貴船神社 豊鍬入姫宮
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