本書成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/11 08:17 UTC 版)
「意志と表象としての世界」の記事における「本書成立まで」の解説
1809年、ゲッティンゲン大学医学部に籍を置いたが翌年哲学部に移り、哲学者G・E・シュルツェの下でプラトン、カントを学びながらシェリングを読み耽っていたショーペンハウアー(21歳)であったが、本格的な哲学研究への思いより1811年にベルリン大学哲学部に移籍し、当時ドイツの国民的哲学者であり、カント哲学の伝統の継承者とされていたJ・G・フィヒテの下で研究を始めた。 『初期遺稿集』によればショーペンハウアーはかなり早い時期から、人間の個別的でうつろいやすい感性的世界からの解放を、永遠無限の存在への問いとして追及していた。しかしそれを、人間の意識の外にある自然、神へ至る通路の問いとしてではなく、むしろ「教養」の伝統によりながら、自己同一的な意識の拡張と高まり、「よりよい意識」の問題として語り始めている。そこにシェリングの知的直観や、後期フィヒテの「より高き意識」との近親性を認めることは容易であるが、「よりよい意識」はショーペンハウアーの思想が本書『意志と表象としての世界』に向かって明確な方向づけを得るまで、さまざまな読み替えをくぐり抜けつつ維持されることになった。 1812年、ベルリン大学にて講義を受ける中でJ・G・フィヒテとF・シュライエルマッヘルに対する尊敬が軽蔑と否定に変わったに反し、古典文献学者F・A・ヴォルフのギリシア古典並びにギリシア文学史の講義を聴き、学者として、また人間として彼を高く評価するに至った。 1813年、博士学位論文『根拠の原理の四つの根について』を完成、翌1814年には東洋学者フリードリヒ・マイヤーを通じて古代インド哲学、とくに『ウプカネット』を知り、ショーペンハウアーの全思想が決定づけられることとなった。 博士論文『根拠の原理の……』では、カント由来の「純粋表象(bloße Vorstellung)」を重要概念として発展させたラインホルトのエレメンタール・フィロゾフィーの表象理解が継承されている。 1817年、『意志と表象としての世界』に対する準備工作が、三月から始めた「全体を、関連する論説でもって人々に把握させ得るようにすること」の範囲では終了した。 1818年5月、『意志と表象としての世界』完成。1819年初め、『意志と表象としての世界』がブロックハウス書店から刊行された。 作者ショーペンハウアーは、この書を一生の大作、主脳の著作、Hauptwerkとして、他は皆その註脚だとしていた。
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