存在への問い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)
「マルティン・ハイデッガー」の記事における「存在への問い」の解説
『存在と時間』でハイデッガーは、存在者 Seiendeと存在 Sein(存在一般、在ること)を区別した上で、存在の意味についての問い(die Seinsfrage)―存在者が存在するという意味はどういうことなのか?―を明らかにしようとした。 ハイデッガーは、カントが外的世界の存在に関する完全な証明がいまだなされていないことを「哲学のスキャンダル」と嘆いたことについて、そのような証明ばかりが求められることこそ哲学のスキャンダルとした。ハイデッガーの企図は野心的であり、生物学、物理学、心理学、歴史学といった存在的なカテゴリーにおいて研究される特定の事物の存在には関心がなく、追求したのは存在一般についての問い、すなわち「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」といった存在論的な問いであった。 ハイデッガーは「いかにしてわれわれは世界と具体的かつ非論理的な方法で遭遇するか」「いかにして歴史や伝統がわれわれに影響を与え、われわれによって形成されるか」「事実上いかにしてわれわれはともに生きているか」「そしていかにしてわれわれは言語やその意味を歴史的に形成するか」といった問いをもって取り組んだ。
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