存在の肯定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 02:01 UTC 版)
Q資料の存在は共観福音書の批判的研究から推定された。マルコになく、マタイとルカに共通してあらわれる記述のことを「二重伝承」と言うが、この二重伝承を分析することで、両福音書で、同じ出来事を描写しているにもかかわらず、記述の詳細さや文章表現に違いがあることから、マタイもルカも、お互いを参照してはいないという結論が生まれた。さらに二重伝承の中で、イエスの事跡では記述の相違が目につくが、イエスの「言葉」の部分では共通する点が多いということが注目され、ここから想定された共通のイエス語録資料がQ資料と呼ばれるようになった。 マタイとルカの相互独立性については次のようなことが言える。 マタイとルカを比較すると、同じことについての描写(二重伝承)が異なっていることが多い。 イエスの幼年時代の記述や、イエスの系図、あるいは復活に関する記事などに見られる決定的な相違は、イエスの言葉以外に関しては、それぞれが独自の資料を用いた結果であると説明できる。 それぞれの思想的立場や執筆動機により、マタイやルカがおのおの編集を加えた部分の記事については、一方が他方の付加部分を盛り込んでいない。すなわち、どちらも互いを参照した形跡がない。 マタイとマルコにいくつか見られる二重語(ダブレット、「目と耳」など同じ種類の言葉を繰り返すことで強調するヘブライ語的表現技法)の表現は半分がマルコに由来するもので、半分はQ資料などの共通資料によるものであると考えられる。 よって、マタイとルカは、一方が他方を参照したとは考えにくく、どちらも執筆時にQ資料のような共通資料を用いたと考えるほうが説明しやすいことが多い。理解の便に該当箇所を挙げると、たとえば以下のような点である。 言葉づかいの一致、たとえばマタイ6:24とルカ16:13、マタイ7:7-8とルカ11:9-10など。 山上の説教の描写の共通性。 二重語(ダブレット)の存在。マタイとルカが同じ言葉を異なる文脈で用いている部分があるが、このような箇所はしばしば原資料の存在の証左とされる。 特定の見方、たとえば申命記的歴史観はマタイ、ルカそのものよりQ資料に強く見られる。
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