朝鮮半島論とは? わかりやすく解説

朝鮮半島論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 02:11 UTC 版)

黄文雄 (評論家)」の記事における「朝鮮半島論」の解説

黄は19世紀末東アジアにおいて清国からみた朝鮮半島観および朝鮮政策について清国属国であったベトナムがすでにフランス横領されたこともあり、残る属国朝鮮死守ようとしていたとし、新疆台湾のように朝鮮中国正式な領土にするため『朝鮮省』を設立し郡県制とする断行案を検討していたという。また1882年壬午事変鎮圧に際して呉長慶 は『遼東三省と左堤右挈し、実に東方一大塀障』、つまり中国遼東三省朝鮮半島守り固めれば怖いものなし、と考えていたとしている。 また、黄は、呉長慶幕下にあり積極的な対外政策論じてきた張謇の『朝鮮善後六策』について、京城帝国大学教授田保橋潔のまとめを引用しながら、それまで東三省から朝鮮省をも含めて『東四省』とし、清国李朝国王廃して監国にする、つまり、属藩扱いにするという政策は、清朝以前にもあったと指摘している。たとえば、明の朱元璋が、李氏朝鮮つくった李成桂に対して監国地位下賜し、国王地位与えなかったのもそのためとされる。 なお、この「朝鮮省」設置について朝鮮人は『小中華』から『大中』への昇格だと喜び、「これまで大中国人やら大中華人になりたくてもなれなかった支那人かぶれの両班にとっては、願ってもない恩寵であったとしている。 すなわち黄によれば、朝鮮は漢の時代から中国一部であり、「封国」 でなく「外藩」として帰属してきたし、朝鮮建国したは中国箕子だと、中国人主張していると指摘している。また、中国中華民国になった近現代でも、中国人朝鮮版図観は変わっておらず、たとえば蔣介石戦後対日処理を協議した1943年11月カイロ会談に際して船上にてルーズベルト大統領高麗返還要求している。 さらに黄は、「宗主国をかさに、高麗朝鮮国王にゆすりたかりを働き一族利益を図るのが、朝鮮半島鉄則のようなものだ」とし、千余年来、「千年進入され、千回とも敵を撃退したではなく属国になると誓ってから宗主国が兵を引いたという歴史事実繰り返されている」としている。 また韓国秀吉朝鮮出兵文禄・慶長の役)で焦土化し三百年もへても立ち直れなかったとして日本糾弾するが、「倭乱のひどさを強調したいという気持ちわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回大乱だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとすれば、もっと恥を知るべきであろう戦後焦土化した日本半世紀もたたずに再び経済大国になったではないか。千回も侵略されすべての侵略者撃退したという自慢話と、三百年も立ち直れいでいるという論理矛盾するともなく主張することに自己撞着はないのであろうか」と批判している。 また、長城外の夷狄だけでなく、西南チベット系民族吐蕃でさえ中華世界一度征服するか、都を占領し脅威与えているのに、朝鮮だけは中華脅威になったことすらありません。朝鮮大中君臣の礼、君父に忠のみだった」としたうえで、「四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない」と嘆きつつ亡くなった林白湖という儒者がいるほどであると指摘している。

※この「朝鮮半島論」の解説は、「黄文雄 (評論家)」の解説の一部です。
「朝鮮半島論」を含む「黄文雄 (評論家)」の記事については、「黄文雄 (評論家)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「朝鮮半島論」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝鮮半島論」の関連用語

朝鮮半島論のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝鮮半島論のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの黄文雄 (評論家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS