最後の哨戒 1944年10月 - 11月
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「グロウラー (潜水艦)」の記事における「最後の哨戒 1944年10月 - 11月」の解説
10月20日、グロウラーは11回目の哨戒でヘイク (USS Hake, SS-256) 、ハードヘッド (USS Hardhead, SS-365) とウルフパックを構成しルソン島近海に向かった。11月7日、グロウラーは俄かにSJレーダー(英語版)の調子がおかしくなったため、故障内容を司令部に打電し、司令部から「帰投中のブリーム (USS Bream, SS-243) と会合して部品を交換せよ」との命令を受けた。ブリームのほうも11月8日の夜に命令を受信した。ブリームは11月10日から11日にかけてグロウラーとの会合を予定して待機していたが、グロウラーはついに姿を見せなかった。ハードヘッドは11月7日夜、グロウラーから「SJレーダーの調子は非常に不安定」との報告を受け、約20分後にはハードヘッドに対して自艦の位置を「ハードヘッドの東側、北緯14度25分 東経119度30分 / 北緯14.417度 東経119.500度 / 14.417; 119.500、針路332度、13ノット」と報告した。その直後に一瞬でもグロウラーのSJレーダーの調子が安定したのか、11月8日1時33分に至り、ハードヘッドはグロウラーから目標を探知したとの報告があり、ハードヘッド自身のレーダーも1隻の大型船と2隻の小型船を探知した。この目標はボルネオ島ブルネイから重油7,000トンを搭載してマニラに向かっていた特設運送船(給油)萬栄丸(日東汽船、5,226トン)と、護衛の海防艦千振、第19号海防艦、駆逐艦時雨であった。グロウラーはただちにハードヘッドとヘイクに迎撃できる位置を占めるよう指示を出し、ウルフパックは浮上状態のまま全速で目標に接近した。2時12分、ハードヘッドはさらにグロウラーから「目標の前900メートル置いて1隻、後ろ約1300メートルに2隻の目標がいる」との報告を受け、続いて2時19分に「目標のコースは針路350度、14ノット、攻撃位置を取りにいけ」、2時32分には「目標のコースは針路315度、ハードヘッドは右側から攻撃せよ」との指令を受け取ったが、この一連の攻撃命令がグロウラーが健在だった最後の証となった。 ハードヘッドはレーダーで船団とグロウラーを確認したが、2時53分にグロウラーのいる位置と思しき辺りから「恐らく雷撃のような音」や得体が知れない爆発音を聴取。また、船団がコース変えたことを探知した。2時57分から59分にかけても爆発音を3度聴取したが、これ以降はグロウラーとは音信不通となった。ハードヘッドは浮上と潜航を繰り返しながら船団を攻撃できる絶好の位置につき、3時59分に萬栄丸に魚雷4本を命中させて撃沈するも、直後の4時2分から5時間近く制圧を受け、ヘイクもハードヘッド同様に16時間制圧されて浮上できなかった。14時55分にハードヘッドは浮上し、夜には同じく浮上したヘイクと交信した。続いてグロウラーのいたと思われる付近を捜索したが、何も見つけることはできなかった。グロウラーの捜索は3日にわたって行われたが、徒労に終わった。7度の哨戒を成功させた歴戦の潜水艦は、原因不明で沈没したと記録された。 船団攻撃の際に聴取された爆発音はヘイクでも聴取されており、「正体不明」と報告した。しかし、その一方でヘイクは16時間にわたる避退行動中に、近くのグロウラーのいるあたりから150もの爆雷の爆発音も聴取した、とも報告している。日本側の記録では「マニラ入港前夜、雷撃を受け万栄丸沈没。対潜掃蕩を行うも、戦果不明。即日反転、ミリに回航」(第19号海防艦)、「マニラ入港前夜、マニラ湾入口にて敵潜水艦の雷撃を受け、万栄丸沈没。対潜掃蕩後即日反転ミリに回航」(千振)と記録している。ハードヘッドによる萬栄丸撃沈地点が北緯13度30分 東経119度25分 / 北緯13.500度 東経119.417度 / 13.500; 119.417のカラミアン諸島ブスアンガ島沖と記録されており、そこからそう遠くはない地点でグロウラーは撃沈されたものと考えられる。 グロウラーは第二次世界大戦の戦功で8個の従軍星章を受章した。また、前述の "Kangaroo Express" の他に、駆逐艦に対する戦果が目立ったことから "Destroyer Buster" (駆逐艦退治人)という異名も授けられた。
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