最後の君主アル=ムタワッキルの時代(1068-1094)
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「アフタス朝」の記事における「最後の君主アル=ムタワッキルの時代(1068-1094)」の解説
彼の時代、宮廷における文芸活動は益々盛んなものとなった。彼に仕えた文化人に、著名な詩人であるエーボラのイブン・アブドゥーン(1134年没)がいる。強力な君主亡き後のトレードに入城するもカスティーリャ=レオンのアルフォンソ6世からの攻撃に耐えきれず撤退。防衛費はかさみ、不法な税の取り立てに対して法学者や市民は王を避難するようになった。アルフォンソ6世の難を避けるため南方の強大なイスラーム国家ムラービト朝と協力し、1086年ザッラーカの戦いでカスティーリャ=レオンを打ち破る。しかしその後ムラービト朝がタイファ諸国を征服するようになると、アル=ムタワッキルはアルフォンソ6世と協力するようになった。イスラーム法に無い重税に加えキリスト教国への弱腰に対し、1094年市民は王を見放しムラービト朝側の使者へ開城しバダホスは制圧された。アル=ムタワッキルは1095年に家族共々処刑されたという。こうしてアフタス朝バダホス王国は終焉を迎えた。先述のイブン・アブドゥーンはアフタス朝の終焉を悼み、晩歌を捧げたという。
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