最後の哨戒 1943年9月 - 10月とは? わかりやすく解説

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最後の哨戒 1943年9月 - 10月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 16:52 UTC 版)

ワフー (SS-238)」の記事における「最後の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説

9月13日ワフー7回目哨戒でソーフィッシュとともに日本海向かった計画では、9月20日ごろに宗谷海峡通過し日本海侵入特定日を過ぎた北緯43度線以南海域哨戒をソーフィッシュに委ね10月21日帰投する予定だった。ワフー千島列島通過する頃に報告するよう命令受けていたが、何の音沙汰もなかった。ワフーは、11月9日失踪公表されたのち、12月2日喪失判断され12月6日除籍された。当初ワフー機雷もしくは魚雷事故により喪失した考えられていた。以下は、日米双方記録等参照して推定されワフー最後哨戒記録である。 9月21日ワフー北緯45度45分 東経14500分 / 北緯45.750度 東経145.000度 / 45.750; 145.000の樺太南方輸送船北征丸(東邦水産、1,394トン)を撃沈9月25日朝には北緯4130東経13900分 / 北緯41.500度 東経139.000度 / 41.500; 139.000の地点応急タンカー太湖丸(東亜海運、2,958トン)を撃沈したその後日本海ひたすら南下し対馬海峡近海達した10月5日未明ワフー釜山向かっていた関釜連絡船崑崙丸鉄道省、7,908トン)を北緯3414東経130度09分 / 北緯34.233度 東経130.150度 / 34.233; 130.150の沖ノ島東北10海里地点発見し撃沈する崑崙丸撃沈死者行方不明者583名におよび、その中には助川啓四郎加藤鯛一2人衆議院議員含み新聞でも大々的報じられアメリカ側でも同盟通信社発表情報傍受した。翌10月6日には北緯3718東経12933分 / 北緯37.300度 東経129.550度 / 37.300; 129.550の地点輸送船漢江丸(朝鮮汽船、1,290トン)を撃沈10月9日未明にも北緯3949東経13946分 / 北緯39.817度 東経139.767度 / 39.817; 139.767の秋田県男鹿半島南磯近海輸送船漢江丸(飯野海運、2,995トン)を撃沈したまた、10月2日七尾到着予定9月29日元山出港したまま日本海行方不明になった輸送船第二正木丸(日下部汽船、1,238トン)も、ワフー戦果推定された。その後ワフーは、日本海作戦北上していったと考えられた。

※この「最後の哨戒 1943年9月 - 10月」の解説は、「ワフー (SS-238)」の解説の一部です。
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