最後の参謀総長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:47 UTC 版)
「ハインツ・グデーリアン」の記事における「最後の参謀総長」の解説
7月21日、ヒトラーとの連日の交渉に疲れて神経衰弱になったクルト・ツァイツラー上級大将の後任として、装甲兵総監を兼務したまま陸軍参謀総長代理に任じられる。グデーリアンは「名誉法廷」の一員となり、暗殺計画加担者の不名誉除隊を決めた。これにより加担者たちは、軍法会議ではなくローラント・フライスラー長官の人民法廷で裁かれて処刑された。参謀総長代理就任後の8月15日には、すべての参謀将校に対し、ヒトラーとナチズムに対して忠誠を誓うよう命令を下している。 グデーリアンは回想録において、ヒトラーの理不尽な命令に反対し、救い得るものを救おうとしたと述べている。しかし東部戦線も西部戦線もすでに連合国軍が優勢であり、グデーリアンにできることはそう多くはなかった。またグデーリアンは東部戦線を重視し、西部戦線の強化に一貫して反対し続けた。彼が参謀総長代理であった9ヶ月間は、連合国軍にも、ドイツ軍にも最大の損害を出した時期である。1945年に入ると国境に迫ったソ連赤軍に対する防衛戦略を巡ってヒトラーとの対立は頂点に達し、3月28日にヒトラーから6週間の休養をとるように命じられ、事実上解任された。これが彼の最後の軍歴となった。
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