最後の哨戒 1945年3月 - 5月
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「スヌーク (潜水艦)」の記事における「最後の哨戒 1945年3月 - 5月」の解説
3月25日、スヌークは9回目の哨戒でバング (USS Bang, SS-385)、バーフィッシュ (USS Burrfish, SS-312) とウルフパックを構成し東シナ海に向かったが、出撃直後に故障が発生して一旦引き返し、3月28日に再度出撃した。スヌークは気象情報を送信する任務を続けた後、4月1日にティグロン (USS Tigrone, SS-419) と合流してパイロットの救助任務を命じられた。4月8日にスヌークは僚艦のティグロンにその位置を知らせた。その位置は7時40分現在で北緯18度40分 東経110度40分 / 北緯18.667度 東経110.667度 / 18.667; 110.667の「ゼブラ」と称された地点だった。翌日、ティグロンから通信が行われたがそれは受信されなかった。スヌークはルソン海峡に向かったことが考えられた。4月12日にスヌークは先島諸島でイギリス第57任務部隊を救助支援する任務を割り当てられていた。しかし4月20日、第57任務部隊の司令官は、艦載機がスヌークの担当海域に着水したが、スヌークとの通信は取れなかったと報告した。スヌークはその海域を偵察し、命令を確認することを命じられていた。スヌークからの通信がなかったため、バングがスヌークと接触するため同海域に送られた。バングは到着し、漂流中のパイロットを救助したものの、他の潜水艦を確認することはできなかった。5月16日にスヌークは喪失したものと推定され、ウォーリング中佐以下84名の乗員は戦死したものとされた。 スヌークの喪失原因は不明である。一時期、伊号第五六潜水艦(伊56)の雷撃が喪失原因とアメリカ側が記述したこともあったが、そのアメリカ側の記録では伊56は4月5日に撃沈されたとしており、この説はティグロンの受信記録を踏まえると矛盾があって現実的ではない。「スヌーク」沈没に該当するのではないかと思われる日本側の記録には次の二つがある。一つ目は第九五一海軍航空隊の舟山列島派遣隊所属の零式水上偵察機および東海が4月9日に行なった攻撃。二つ目は4月14日に舟山列島付近で海防艦「沖縄」、「第8号海防艦」、「第32号海防艦」が行った攻撃である。 スヌークはその2年半の現役任務の間に17隻の敵艦を撃沈した。スヌークは第二次世界大戦の戦功で7個の従軍星章を受章した。
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