最後の哨戒 1945年3月 - 5月とは? わかりやすく解説

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最後の哨戒 1945年3月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:29 UTC 版)

スヌーク (潜水艦)」の記事における「最後の哨戒 1945年3月 - 5月」の解説

3月25日スヌーク9回目哨戒バング (USS Bang, SS-385)、バーフィッシュ (USS Burrfish, SS-312) とウルフパック構成し東シナ海向かったが、出撃直後故障発生して一旦引き返し3月28日再度出撃した。スヌーク気象情報送信する任務続けた後、4月1日ティグロン (USS Tigrone, SS-419) と合流してパイロット救助任務命じられた。4月8日スヌーク僚艦ティグロンにその位置知らせた。その位置7時40分現在で北緯1840東経110度40分 / 北緯18.667度 東経110.667度 / 18.667; 110.667の「ゼブラ」と称され地点だった。翌日ティグロンから通信が行われたがそれは受信されなかった。スヌークルソン海峡向かったことが考えられた。4月12日スヌーク先島諸島イギリス第57任務部隊救助支援する任務割り当てられていた。しかし4月20日第57任務部隊司令官は、艦載機スヌーク担当海域着水したが、スヌークとの通信取れなかったと報告したスヌークはその海域偵察し命令確認することを命じられていた。スヌークからの通信がなかったため、バングスヌーク接触するため同海域送られた。バング到着し漂流中のパイロット救助したものの、他の潜水艦確認することはできなかった。5月16日スヌーク喪失したものと推定され、ウォーリング中佐以下84名の乗員戦死したものとされた。 スヌーク喪失原因不明である。一時期伊号第五六潜水艦伊56)の雷撃喪失原因アメリカ側記述したこともあったが、そのアメリカ側記録では伊564月5日撃沈されたとしており、この説はティグロン受信記録踏まえる矛盾があって現実的ではない。「スヌーク沈没該当するではないか思われる日本側の記録には次の二つがある。一つ目第九五一海軍航空隊舟山列島派遣隊所属零式水上偵察機および東海4月9日行なった攻撃二つ目4月14日舟山列島付近海防艦沖縄」、「第8号海防艦」、「第32号海防艦が行った攻撃である。 スヌークその2年半現役任務の間に17隻の敵艦撃沈したスヌーク第二次世界大戦戦功で7個の従軍星章受章した

※この「最後の哨戒 1945年3月 - 5月」の解説は、「スヌーク (潜水艦)」の解説の一部です。
「最後の哨戒 1945年3月 - 5月」を含む「スヌーク (潜水艦)」の記事については、「スヌーク (潜水艦)」の概要を参照ください。

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