早川電力の設立
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「東京電力 (1925-1928)」の記事における「早川電力の設立」の解説
東京電力の前身の一つ、早川電力株式会社は、1918年(大正7年)6月28日に創立総会が開かれ発足した。設立時の資本金は800万円(うち200万円払込)。設立の目的は、山梨県南部を流れる富士川支流早川の水力2万3000馬力を開発し、それらの水力発電所からの電力を静岡県内へ供給することにあった。 当初の社長は、富士製紙の社長でもあった窪田四郎である。設立当初の早川電力は株式の過半数を富士製紙が保有していた。同社は明治中期に設立された製紙会社で、富士川下流域の静岡県富士郡にて製紙工場を操業。製紙工場への電力供給を目的として1907年(明治40年)11月に富士水電を設立、後に進出した北海道でも電気事業を営み1919年(大正8年)10月に富士電気(後の大日本電力)を設立するなど、各地で電気事業に関与していた。窪田は富士製紙の社長職を1919年5月に退き大川平三郎に譲った。大川の下での富士製紙は北海道や樺太に事業の中心を移し、早川電力の株式も手放したため、早川電力に留まった窪田はその責任上その経営に集中することとなった。 社長以下の経営首脳として専務取締役に森田一雄が就任した。森田は東京帝国大学出身の電気技術者で、九州水力電気技師長を務めたのち1915年より富士製紙電気部長兼技術部長であった。その他の取締役には穴水要七(富士製紙専務)・伯爵副島道正・久野昌一(元十五銀行支配人)・前田米蔵(衆議院議員)らがいる。本社は東京市内に設置。1918年7月26日付で富士製紙・日英水電に対する電力供給ならびに電気化学工業を目的とする電気事業法準用事業の認定を逓信省より得ている。 設立なった早川電力では早川開発の第一期工事に着手するが、有利な供給区域を持たないため日英水電の合併に踏み切った。日英水電は1911年(明治44年)に設立され、静岡県西部の浜松・島田地区に供給していた電力会社で、早川電力と取締役の一部が重なる(共通の取締役は副島道正・久野昌一)。1920年(大正9年)2月4日に逓信省から合併認可があり、同年3月15日の合併報告総会をもって手続きが完了した。日英水電の資本金は300万円で、合併に際し同社株主に対し1株につき早川電力株式を1株ずつ交付したため、早川電力の資本金は300万円増の1100万円となっている。さらに1922年(大正11年)2月25日合併認可・4月12日合併報告総会という手順で天竜電力・福田電力・東遠電気の3社を合併し、静岡県西部での供給区域を拡大した。3社合併後の資本金は400万円増の1500万円である。
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