早川雪洲の妻として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:29 UTC 版)
鶴子はアメリカ人的な自立心のある女性で、当時の日本人女性のようにすべて夫に従うというようなタイプではなかったが、生涯にわたり夫の早川雪洲を深く愛し、彼のあらゆる側面を受け入れ、夫に思う存分仕事をしてもらうために家庭を守ることに専心した。雪洲にとっても、鶴子は自身の仕事を助け、家庭を守り、さらには女性問題の尻ぬぐいまでするなど、あらゆる面で頭の上がらない存在となった。雪洲はそんな鶴子を誰よりも信頼し、尊敬し、女性問題で妻を苦しめても、鶴子が亡くなるまで一度たりとも離婚を考えなかった。結婚記念日には、2人が一緒にいない時は必ず電報で祝い、鶴子の誕生日には指輪もしくはネックレスをプレゼントするのが毎年恒例だった。 鶴子は生涯にわたって、雪洲の絶えない女性問題や金銭問題に悩まされた。夫の女遊びがわかると、それを黙って見つめるわけではなく、当時のアメリカ人女性のように夫に食ってかかり、泣き叫んで怒った。そんな時はきまって雪洲は反論せず、鶴子の怒りが収まるまで黙り込み、最後には鶴子の方が諦めて許したという。雪洲の友人でさえ鶴子の境遇に同情する人もおり、戦後には知人の藤原義江に「まだ、セッシューの奥さんやってるの」と言われたこともあった。それでも鶴子は雪洲のこのような面さえも受け入れ、雪洲の悪口を言う者があれば「それはそうだが、でも…」とかばい、ついには「そういう、しようもないところにほれたのよ」と言ったという。雪洲の子供たちも鶴子の味方になって父を非難したが、そんな時に鶴子はきまって「ママは不幸ではないのよ、愛する人がいるだけで幸福よ。ダディは根は優しいひとだし、良い思いもさせてもらったんだもの」とかばったという。
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