日本語方言の権威として
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「金田一春彦」の記事における「日本語方言の権威として」の解説
1975年5月、日本琵琶学協会の会長となる。8月1日、小泉純一郎や桂三枝(現・六代 桂文枝)らと共に日本テレビのテレビ番組「異色歌手コンクール」に出演し、一等賞を受賞する(10月26日放映)。 1977年4月、池田弥三郎の世話で慶應義塾大学に招かれ、国文科で教える(〜1980年)。同年11月18日、紫綬褒章を受章する。この年、日本放送協会放送文化賞も受賞する。 1978年、東郷学園講師となる(〜1981年)。 1982年、国語学会代表理事となる(〜1985年)。 1983年3月25日、師である本居長世の伝記『十五夜お月さん』(1982年12月刊)で芸術選奨文部大臣賞(評論部門)を受賞する。同年11月15日には毎日出版文化賞を、11月19日には日本児童文学学会賞を受賞する。 1984年4月、武蔵野女子大学客員教授となる(〜1989年3月)。テレビ東京のテレビ番組「有名人カラオケ大会」で「人を恋ふる歌」を独唱し、優秀歌唱賞を受賞する。 1986年11月、勲三等旭日中綬章 叙勲。 1988年4月、フジテレビのテレビ番組森田一義アワー 笑っていいとも!金曜日にレギュラー出演する(同年9月まで)。 1989年4月、玉川大学客員教授となる(〜2002年3月)、津田塾日本語教育センター主席講師(のちに顧問)となる。同年4月24日、総理大臣官邸で開かれた芸術文化関係者との「懇親のつどい」で、「今の日本の政治は全然心配いらない。すぐれた文化が花開いた時代の政治はあまり芳しくなかったからだ。3%の消費税で大劇場などを作れば、後世の史家は日本文化の栄えた時代を道長、綱吉、竹下登の平成時代とみるだろう」と挨拶し話題となった。 1997年11月、文化功労者に選ばれる。 1998年、歌曲集『白いボート』を出版する。 2000年10月、『四座講式の研究』で密教学芸賞を受賞する。同年12月、1965年から別荘を構える山梨県大泉村の名誉村民に選ばれる。村の図書館(現在の北杜市金田一春彦記念図書館)に蔵書を寄贈したこともあり、生前に村役場前の街路が「金田一春彦通り」と名付けられた。 2001年、東京都名誉都民に選ばれる。6月23日、「長坂メセナの会」の主宰で山梨県長坂町の中央公民館にて春彦作曲の歌を歌う会が開催された。 2004年5月19日午前11時10分、蜘蛛膜下出血のため甲府市の病院で死去、享年91歳。第46回日本レコード大賞特別功労賞を受賞する。瑞宝重光章追贈。
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