日本人男子の世界戦初勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 01:18 UTC 版)
「江藤光喜」の記事における「日本人男子の世界戦初勝利」の解説
江藤は会長の具志堅から「1回から飛ばせ」とアドバイスを受けていた通りに動き、初回終盤には王者をロープに追い込み左フックで倒したが、スリップと裁定された。当初から判定では勝てないと考えていた江藤は前半でのKO勝利を目指したが、再三ホールディングなどの注意を受け、中盤以降に試合が持ち越すと判定で負けるのではないかという思いも頭をよぎった。しかしセコンドからは「あきらめるな」と激励され続けた。最終回は江藤自身「あきらめるな」「ぶっ倒せ」と頭の中で繰り返し、終了まで残り時間20秒というところで左右のフックからの連打でダウンを奪った。この回、終了のゴングは10秒前に鳴らされたが、3-0(2者が114-113、116-111)の判定勝ちを収め、王座を獲得した。リング上でチャンピオンベルトを巻かれると「あきらめなければ夢はかなうんだ!」と叫び、翌2日、凱旋帰国し「海外で勝つって意外と気持ちいいもんですね」と笑顔で喜びを語った。同日にはフィリピンで亀田和毅の世界初挑戦もあり、出発時に江藤を見送った報道陣は『日刊スポーツ』の1人だけであったが、凱旋時には7人に出迎えられた。アジア圏のボクシング情報を網羅するウェブサイトの Asian Boxing は、この試合を「真の年間最高試合候補」とし、「やや一方的な性質だったにも関わらず年間最高試合の呼び声高い荒川仁人 対 オマール・フィゲロア戦も見劣りするぐらいだ」と大絶賛。同行できなかった具志堅も、1994年のジム創設以来初の男子世界王者の誕生に「こんなうれしいことない。涙が出そう。」と感激した。 日本人男子選手によるタイでの世界戦は1963年のファイティング原田の防衛失敗に始まり過去に17敗1分けを記録していた。江藤は19人目にして初勝利を収めたが、JBCは「合理的な説明のつかない王座を乱立させている」として2011年2月28日よりWBA暫定王座を世界王座と認めない方針をとっているため、この王座の防衛戦を国内で行うことはできない。日本プロボクシング史上で暫定世界王者は男女11人だが、他の10人は全て正規王者休養に伴って設置された暫定王座決定戦に判定勝利を収めて獲得。江藤のみ現役暫定王者に挑戦し、世界王座を奪取した。 王座奪取の夜、タイで「(具志堅)会長には、会長と同じ本当のWBAのベルトを取りますと言いたい」とコメントした江藤にとって、正規王者ファン・カルロス・レベコとの王座統一は年内にも実現したい課題であった。「(レベコと)どちらが勝っても盛り上がるような、気持ちのあるボクシングをしたい」と語り、初防衛戦に向けて粉川拓也や井上尚弥らとスパーリングをした。初防衛戦が正式に決まったのは、開催のわずか2週間前だった。
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