日本における自然の権利運動の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:05 UTC 版)
「自然の権利」の記事における「日本における自然の権利運動の経緯」の解説
日本への自然の権利概念の紹介は、1970年代には始まっていた。全国自然保護連合による自然の権利宣言の採択が初期の例である。 実際に訴訟として本格的に自然の権利論が展開されたのは、1995年(平成7年)提訴の「奄美自然の権利訴訟」(アマミノクロウサギ訴訟)が最初である。この裁判では、自然保護活動家Aらのほか「アマミノクロウサギ」など動物4種が原告として訴状に名を連ねた。鹿児島地方裁判所は、動物に法的な権利主体性(当事者能力)は無く、「アマミノクロウサギ」などの記載は無意味として訴状却下した。そこで、原告Aらは、人間原告の「A」について「アマミノクロウサギことA」とするといった表示の訂正を行った。これは、あくまで自然物の代弁者として原告適格が認められるべきだという自然の権利論をとることを強調する趣旨だった。その後、訴状は受理されたAら人間原告に対する判決が出されたが、裁判所は、自然の権利論については実質的に法律の定めが無い客観訴訟にあたるなどと述べ、原告適格が欠けるとして却下判決に終わっている。これ以前の訴訟として、1993年提訴の相模大堰訴訟なども自然の権利の考え方を援用していると評価されている。以後、いくつかの「自然の権利訴訟」を名乗る訴訟、あるいは考え方が近い訴訟が提起されている。原告適格の点では問題が無い住民訴訟形態の事件でも、あえて問題提起のために自然物を原告に加える事例がみられる。 自然物を原告とすることに関しては、自然物自体に当事者能力は現行法上で認められていないため不適法というのが裁判所の一貫した判断である。そのため実際に自然物を原告とした訴えについては、自然物原告部分に関して訴状却下や、弁論を分離しての訴え却下といった裁判がなされている。日本における自然の権利訴訟は、解釈論上の無理を承知で提起されていると評される。 自然の権利論者は、これらの訴訟活動が徐々に自然保護をめぐる法廷闘争のあり方(主として裁判所側の意識)を変更しつつあると主張している。たとえば相模大堰訴訟における横浜地裁の訴訟指揮。自然物原告を否定し原告適格を理由として訴訟の却下を求める神奈川県に対して、横浜地裁は「実体的反論をなすように」という訴訟指揮をしたと、共同通信(1996-02-28-15:48)が報じた。ただし、この相模大堰訴訟は客観訴訟である住民訴訟として提起されたもので、自然の権利論などで原告適格の拡大を議論している行政事件訴訟法上の抗告訴訟とは大きく事情が異なる。奄美自然の権利訴訟判決でも、問題提起としては理解を示す旨が判決理由中で述べられている。 なお、2004年には、沖縄の辺野古に建設が予定されている米軍普天間基地移転事業に関して、沖縄に生息する人間ではない動物種の「ジュゴン」、日本のNGOである「生物多様性センター」「タートルアイランド回復ネットワーク」「日本環境法律家連盟(JELF)」「ジュゴン保護基金委員会」「ジュゴンネットワーク沖縄」「ヘリポート建設阻止協議会」および個人3名、その依頼を受けたアメリカ合衆国の Marcello Mollo弁護士によって、市民訴訟条項の本場であるアメリカ合衆国の国防総省・ラムズフェルド国防長官に対して、ジュゴンの棲息地を含む、沖縄の自然環境への、適切な配慮を求める」という内容の訴訟が提起されている。本件訴訟は、2004年8月4日に審理が開始され、2005年3月2日に実体審理にはいることが決定され、2008年1月24日に原告側勝訴の判決が出された。国防総省はその後も「(環境アセスの手法の選択は)自らの裁量圏内である」と主張しており、問題は解決にはいたっていないが、「アメリカ合衆国が、市民訴訟条項を持たない国で行なう事業」についての最初の自然の権利に基づく勝訴判決であることから、重要な意味を持っている。
※この「日本における自然の権利運動の経緯」の解説は、「自然の権利」の解説の一部です。
「日本における自然の権利運動の経緯」を含む「自然の権利」の記事については、「自然の権利」の概要を参照ください。
- 日本における自然の権利運動の経緯のページへのリンク