日本における死刑存置論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:04 UTC 版)
「死刑存廃問題」の記事における「日本における死刑存置論」の解説
以下の項目は、日本における死刑制度存置派による存置論である。 社会契約説からの存置 前述のように、啓蒙思想家のルソーやカントは社会契約説から死刑を肯定したとして、刑法学者の竹田直平は「人間は本来利己的恣意的な行動を為す傾向を有するので、他人からの不侵害の約束と、その約束の遵守を有効に担保する方法とが提供されない限り、何人も自己の生命や自由、幸福の安全を確保することができない」として社会契約の必要を説いた上で、生命を侵害しないという相互不可侵の約束を有効かつ正義にかなった方法で担保するには、違約者すなわち殺人者の生命を提供させる約束をさせることが有効であると主張し、死刑の存置を肯定した。なお前述の「死刑制度には『私はあなたを殺さないと約束する。もし、この約束に違反してあなたを殺すことがあれば、私自身の命を差し出す』という正義にかなった約束事がある。ところが、死刑を廃止しようとする人々は『私はあなたを殺さないと一応約束する。しかし、この約束に違反してあなたを殺すことがあっても、あなたたちは私を殺さないと約束せよ』と要求しているに等しい。これは実に理不尽である」という意見は、竹田が主張したものである。 民族的法律観念からの存置論 最高検察庁検察官検事を勤めた安平政吉は「社会秩序を維持する為には、悪質な殺人等を犯した犯罪者に対しては死刑しかなく他の刑罰は考えられず、それにより国民的道徳観も満足される」と主張した。 国家的秩序・人倫的維持論からの存置論 刑法学者で弁護士の小野清一郎は「死刑が正当なものであるかどうか、抽象的に論じがたい」として、抽象的に死刑を否定するのは浅見な人道主義的または個人主義的啓蒙思想に基づく主観的な見解であり、日本の政治思想は仁慈を旨としており国家的秩序と人倫的文化を維持するために絶対に必要な場合には死刑を廃止すべきであるとした上で、制度として維持する場合には適用を極度に慎重にしなければならないとし、死刑制度の存置を条件付で容認したものであるといえる(三原 2008, p. 44)。 犯罪抑止論 死刑存置論者である植松正は、死刑の威嚇力が社会秩序維持のために必要であると主張した。 特別予防論からの存置論 目的刑論とは、「刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格を持つ」とする理論であり、刑罰の威嚇効果によって犯罪抑止を図る一般予防論と、犯罪者に刑罰を科すことによって再犯を防止しようとする特別予防論に分かれる。後者の特別予防論によれば死刑制度は「大抵の犯罪者は教育・矯正をすることで再犯をある程度抑止することができる。しかし死刑が適用されるような凶悪犯は、矯正不可能であり社会秩序維持のために淘汰する必要がある。そのため社会から永久に隔絶することで再犯可能性を完全に根絶する手段として死刑は有用である」となる。そのため、再犯させない究極の手段として死刑は容認されるというものである。なお日本の死刑制度を合憲とした最高裁判例(最大判昭23・3・12)は、この特別予防論を死刑制度の根拠としているが、永山事件判決は一般予防の見地からも罪刑均衡の見地からも止むを得ない場合に限り死刑適用が許されるとしており、以降の裁判例や検察官の論告でもこの表現が引用されることが多い。 被害者感情に応じる為に必要とする存置論 日本において、凶悪犯罪に対する世論の厳罰化傾向が強まった背景には、従来なおざりにされてきた犯罪被害者への関心が高まったことが一因とされ、遺族の応報感情を満たすことを目的として死刑存置論が主張されることがある。また死刑が執行されないと私刑 が増加する危険性があるとした上で、被害者の遺族を納得させるためには必要悪であるという主張がある。また存置論者は廃止論者に対して自身が犯罪被害者になることを想定しているのかと指摘することがある(なお、1956年の銀座弁護士妻子殺人事件では廃止論者の弁護士磯部常治が妻子を殺害されてもなお死刑廃止の立場を変えなかった例があるが、岡村勲弁護士の事件に比べて、メディアなどでは取り上げられることはない)。
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