政治と社会生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 03:04 UTC 版)
国政においては2人の世襲の王が並立し、その権限は戦時における軍の指揮権などに限定されていた。2王家はそれぞれアギス家(英語: Agiad dynasty)とエウリュポン家(英語版)(英語: Eurypontid dynasty)といい、スパルタの統一過程で採られた妥協の遺制と思われる。ペルシア戦争のテルモピュライの戦いで有名なレオニダス1世はアギス家の王である。長老会(英語版)は、全市民参加の民会によって兵役免除に達した60歳以上の中から選出された28人に、2人の王を加えた30人で構成され、その地位は終身であった。民会の決定に対して拒否権を有し、事実上の最高決定機関であった。また、民会によって30歳以上の市民の中から、毎年5人のエフォロイが選ばれて、王を含む全市民に対する監督権と司法権を保持した。 新生児は部族長老の面接を受け、虚弱者は山奥の洞穴に遺棄された。男性は7歳で家庭を離れ共同生活を送り、12歳から本格的な肉体的訓練とスパルタ人としての教育(アゴベ)を受けた。軍事訓練の一つとして、ヘイロタイから物を盗み殺害することも奨励された。こうして、彼らは質実剛健、忍耐と服従を身につけ、18歳で民会の全会一致により成人の仲間入りを果たした。こうした人材育成はスパルタ教育と言われる。 軍事に携わるようになると将軍の管理下に置かれ、毎日15人単位の夕食会に参加して、政治談義に加わった。共同食事は団結を醸成する場であり若者を教育する場であった。兵舎での生活を常としたため、妻をもっても夜には兵舎に戻る必要があった。戦場で臆病と見なされた場合、全ての共同体から排除され顎髭の半分を刈りとられた姿で生きなければならなかった。60歳になると兵役が免除された。 女性にも体育が奨励され健康な子を持つことが期待された。15歳位になると親が決めた30歳位の男性と結婚させられた[矛盾 ⇔ :en:Sparta#Role_of_women]。戦死することが多かったスパルタでは、兄弟で一人の女性を妻に迎えたと伝えられる。妻は夫と昼間に顔を合わせることはほとんどなかった。しかし家庭の奥に籠もって一生を送ったアテナイの女性に比べれば自由であった。 元来のスパルタ人は優れた金属工芸技術とそれによってもたらされた大きな経済力を有していたが、国民皆兵制度の導入以降は徹底的に贅沢を排除して、貴金属の装飾品を身につけることさえ禁じた。商業は2万人の半自由民であるペリオイコイに従事させたが、基本的には通商では抑制策を採り、鉄貨の使用しか認めていなかったので他の諸都市との貿易は振るわず、かつての技術力も衰退し、必需品が流通するばかりであった。 このようにスパルタは、ギリシアの他の地域とは違う制度を有していたようである。
※この「政治と社会生活」の解説は、「スパルタ」の解説の一部です。
「政治と社会生活」を含む「スパルタ」の記事については、「スパルタ」の概要を参照ください。
- 政治と社会生活のページへのリンク