政治と経済の再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:18 UTC 版)
「ヨウェリ・ムセベニ」の記事における「政治と経済の再建」の解説
ウガンダのアミン以降の政権は腐敗、派閥抗争などで秩序回復の困難さを示し大衆的な合法性を得られなかった。ムセベニは、新政権が同じ目に遭わないために同様の誤ちの繰り返しを避ける必要があった。NRM は前任者達より幅広い民族的基盤を形成した上で、4年間の暫定政権であると宣言した。それにもかかわらず、様々な派閥の代表がムセベニによって精選された。ウガンダのそれまでの歴史に陰を落とした派閥間の暴力は政党活動と政党が民族的に異なる支持基盤を持つことを制限することを正当化させた。無党制により政党そのものは禁止されなかったが直接選挙で候補者を選ぶことはできなくなった。ムセベニが全てのウガンダ人に従うことを求めたいわゆる「抵抗運動」体制がこの20年間のウガンダ政治の基礎となった。 村レベルから直接選出された抵抗議会(のち地方議会)制度は地方の問題を扱うために設置され、固定価格商品の公正な分配も行う。抵抗議会議員の選挙は多くのウガンダ人にとって様々なレベルでの権威主義的であったこの数十年間で初めての民主的な経験となり、県レベルまでの同様の構造が5段階繰返される仕組みにより人々のよりハイレベルでの政治への理解を助けた。 新政権は外交的にも広範な支持を得て、内戦による経済的な損失やハイパーインフレなどに対し国際収支統計などの経済概念を導入して対処した。マルクス主義思考を捨て、IMFや世界銀行の新自由主義の構造調整を受け入れた。1987年からはIMFの経済復興計画 (ERP) を導入した。成長、投資、雇用、輸出の拡大のためのインセンティブの回復、輸出拡大のための貿易の多角化、私企業の成長促進のための規制緩和と公企業の民営化、あらゆるレベルでの貿易の自由化などが行われた。
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