改革者として、詩人として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 02:50 UTC 版)
ソロンは、その作品が現代まで生き残っている、最古のアテナイ人の詩人である。彼の詩が伝わったのは、プルタルコス、デモステネスのような古代の著者による断片的な引用句においてである。彼らは、ソロンの詩を、自身の議論がより明らかになるように使った。断片の中には、誤って彼の作とされているものが存在する可能性があり、学者の中には、後の作家による改ざんを見抜いた者もいる。 ソロンの詩の文学的価値は、一般的に月並みのものだと見られている。詩人としてのソロンは時々「独善的」、「尊大」というように見られたといえる。より才能豊かなエレゲイア詩人、ミムネルモス(英語版)に対する道徳的忠告を含んだエレゲイアを詠んだことがあった。現存している詩のほとんどは、ソロンが(自らの)権威と指導力を主張する政治活動家の役割を書き留めているところを示しており、ドイツの古典主義者 ヴィラーモヴィッツはそれらの詩を、「詩で表現された説教」(Eine Volksrede in Versen)と解説した。しかし、プルタルコスによればソロンは、当初詩を気晴らしのために書き、哲学的なやり方というよりも、人々に受けの良いやり方で、楽しいことを話題とした。ソロンのエレゲイアの様式は、例えば、テュルタイオス(英語版)などに影響を与えたといわれている。彼は、イアンボス、トロカイオスの詩も書き、ある現代の学者によるとそれらは、彼のエレゲイアよりも生き生きとし、率直なもので、アテナイ人の戯曲のイアンボスの詩のための道を開いた可能性がある、とされる。 ソロンの詩は、大部分が審美的な判断より、彼の改革とその姿勢についての個人的記録として歴史的に重要なものである。しかし、詩は事実をやり取りするのに望ましい分野ではなく、残存する断片からは、具体的な情報はほとんど確認できなかった。詩人としてのソロンによれば、改革者としてのソロンは、アテナイの彼の仲間の市民が、ますます社会的・経済的格差により対立を深めていた時の、政治的な節制の代弁者であった。 ギリシア語(原文)英訳(ジョン・ドライデン)日本語訳(参考)πολλοὶ γὰρ πλουτεῦσι κακοί, ἀγαθοὶ δὲ πένονται:ἀλλ' ἡμεῖς αὐτοῖς οὐ διαμειψόμεθατῆς ἀρετῆς τὸν πλοῦτον: ἐπεὶ τὸ μὲν ἔμπεδον αἰεί,χρήματα δ' ἀνθρώπων ἄλλοτε ἄλλος ἔχει. Some wicked men are rich, some good are poor;We will not change our virtue for their store:Virtue's a thing that none can take away,But money changes owners all the day. 意地悪な男たちは金持ち、良い人たちは貧しい彼らの蓄えと私たちの徳を取り替えたりしない徳は、誰も取り去ることのできないものであるしかしお金はその持ち主を一日中変え続ける イギリスの詩人ジョン・ドライデンによって英訳されたソロンの言葉は、金持ちと貧しい人々の格差を我慢できるか、ないしは大抵は気にしない「道徳の優位性」をはっきり説明したものである。ソロンが、国内の対立する派閥の間に平和的な和解を確立するために、異常なほど強い立法権を行使しようとしたことを、彼の以下の詩は示している。 ギリシア語(原文)英訳(ジョン・ドライデン)日本語訳(参考)ἔστην δ' ἀμφιβαλὼν κρατερὸν σάκος ἀμφοτέροισι:νικᾶν δ' οὐκ εἴασ' οὐδετέρους ἀδίκως. Before them both I held my shield of mightAnd let not either touch the other's right. それらの両方に直面して、私は権力の盾を構えたそして一方に、もう一方の権利を、触れさせなかった 彼の試みは、明らかに誤解されてしまった。 ギリシア語(原文)英訳(ジョン・ドライデン)日本語訳(参考)χαῦνα μὲν τότ' ἐφράσαντο, νῦν δέ μοι χολούμενοιλοξὸν ὀφθαλμοῖς ὁρῶσι πάντες ὥστε δήϊον. Formerly they boasted of me vainly; with averted eyesNow they look askance upon me; friends no more but enemies. 以前、彼らは私を無駄にもてはやした、目を逸らしながら今、彼らは私を白眼視し、友人はこの上ない敵となった ソロンはアテナイ人の「ナショナリズム」を表明した。特に、アテナイが争っているメガラとその近隣国及びサロニコス湾における対立国に対して、強く表明した。プルタルコスは、アテナイ人をメガラの支配下にあったサラミス島の奪還に駆り立てた、ソロンのエレゲイアへの称賛を明らかにしている。同じ詩は、ディオゲネス・ラエルティオスによっても伝えられ、他のどんな詩よりも、アテナイ人を奮起させたとされる。 英訳日本語訳(参考)Let us go to Salamis to fight for the islandWe desire, and drive away our bitter shame! あの島のために戦うために、どうか私たちをサラミスへ行かせてください私たちは不名誉を追い払いたいのです! ソロンは、この詩的な虚勢を戦場での実際の武勇で裏付けたのかもしれない。
※この「改革者として、詩人として」の解説は、「ソロン」の解説の一部です。
「改革者として、詩人として」を含む「ソロン」の記事については、「ソロン」の概要を参照ください。
- 改革者として、詩人としてのページへのリンク