支援と推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:39 UTC 版)
「ブリストル・バス・ボイコット事件」の記事における「支援と推移」の解説
5月1日、ブリストル大学の学生たちがオムニバス社のバス停とTGWUの地元本部に向かって抗議行進を行い、市の中心部を通った際にバスの乗務員たちから罵声を浴びせられたと地元紙が伝えている。国会議員のトニー・ベンは、当時の野党党首(英語版)だった労働党党首のハロルド・ウィルソンに連絡を取り、ウィルソンはロンドンで開かれた反アパルトヘイト運動(英語版)の集会で、カラーバーに反対する発言をした。5月2日、地元の労働党所属の市参事会員(英語版)であるヘンリー・ヘネシーは、カラーバーをめぐるTGWUとオムニバス社経営陣の明らかな癒着関係について発言した。5月3日、市議会の与党である労働党は、ヘネシーが40年以上にわたって立派に勤め上げてきたにもかかわらず、彼を除名すると脅した。 トニー・ベン、フェナー・ブロックウェイ(英語版)と元クリケットプレイヤーのレアリー・コンスタンティン(英語版)は、オムニバス社を非難した。コンスタンティンは当時、トリニダード・トバゴの高等弁務官を務めていた。コンスタンティンはオムニバス社とスティーブンソンに書簡を送り、また5月4日から7日にかけてブリストル・カントリー・グラウンド(英語版)で開催された西インド諸島対グロスタシャー(英語版)のクリケット戦において、記者に向けてカラーバーに反対する発言を行った。西インド諸島チームは、「スポーツと政治を混同してはならない」として、ボイコットを公的に支持することを拒否した。試合中、地元の人種差別反対キャンペーン(英語版) (Campaign Against Racial Discrimination, CARD)のメンバーは、観客にボイコットを支持するよう促すビラを配った。 TGWUの地方支部は、評議会の代表団との面会を拒否し、地元メディアではますます激しい言葉の戦いが展開された。TGWUの南西地域書記ロン・ネザーコットは、地元の黒人でTGWU組合員のビル・スミスを説得して、争議を解決するための穏やかな交渉を求める声明に署名させた。この声明は、スティーブンソンを、市内の黒人やアジア人に危害をもたらしかねないとして非難するものだった。ネザーコットは、デイリー・ヘラルド(英語版)紙上でスティーブンソンへの攻撃を開始し、スティーブンソンを不誠実で無責任な人物として非難した。これがきっかけとなり、高等法院での名誉毀損訴訟に発展し、1963年12月、スティーブンソンに対する損害賠償と費用負担が命じられた。 ブリストル教会協議会は調停を試み、 我々は、この問題を端緒とする、人種間対立を長引かせかねない一連の騒動が、どうやら、西インド諸島系住民を代表すると自称する小さな一団によって意図的に生み出されたものであるらしいことを心より遺憾に思う。また、一部の白人の社会的・経済的恐怖心が、ブリストル・バス社を、キリスト教が理想とする人種関係を実現するに極めて困難な地位に追い込んでしまった、という明白な事実も、遺憾に思っている。 との声明を発した。 これに対して、ジャマイカ高等弁務官事務所職員のロバート・ディヴィスンは、「西インド諸島系住民を代表する団体が存在しない状況下において、西インド諸島系住民の集団を「西インド諸島系住民を代表していない団体」と記述するのはナンセンスだ」と批判した。 5月6日日曜、イーストビル(英語版)で開催されたメーデー集会において、ブリストル商業評議会(英語版)のメンバーが、公にTGWUを批判した。同日、スティーブンソンはセントメアリー・レッドクリフ教会(英語版)へのデモ行進を組織したが、参加者は少なかった。地元の西インド諸島系住民の中には、波風を立ててはいけないとする者たちもおり、ロイ・ハケットによれば、彼らは加害を受けることを恐れていたのかもしれないという。この争議によって、ブリストル・イブニング・ポスト紙には史上最大級の投書が寄せられ、投稿者たちは、どちらの側もそれぞれの支持する内容を書き込んだ。
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