撃墜当日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 06:22 UTC 版)
9月1日(下記はいずれも日本標準時)の朝の時点で日本政府が、大韓航空機が「サハリン沖」で行方不明になったことを公式発表し、午前7時前後には日本のテレビやラジオでは「ニュース速報」として「大韓航空機が行方不明になった」と報じた、各国の通信社が東京発の情報として大韓航空機の行方不明を報じた。 情報が錯綜し、撃墜説やハイジャック説が流れる中、午前11時には「『旅客機はサハリンのネべリスク付近の空港に強制着陸させられ、乗員乗客は全員無事』と韓国外務省が発表」という外電が入り、日本の民放各局が昼のニュースのトップ項目として報じた。しかし、これは結局誤報と分かり、マスコミだけでなく乗客の安否を気遣う日韓の関係者も振り回された。また、ソ連の戦闘機が発進し、ミサイルを発射した形跡が確認された。これに対してソ連側は墜落のみを認め、撃墜については触れなかった。 このような日本や韓国、アメリカ合衆国などの西側諸国の報道があったものの、日本や韓国、アメリカの政府やマスコミからの問い合わせに対してソ連は「該当する航空機は国内にいない」「領空侵犯機は日本海へ飛び去った」と事件への関与を否定した。これに対してアメリカ合衆国連邦政府は、その日の内に「ソ連軍機が007便を撃墜した」と発表、日本当局が提供したソ連軍機の傍受テープも雑音を除去し、ロシア語のテロップを付けた上で一部放送した。 この傍受テープをめぐり、日本がテープをアメリカ側に提供して公表することについては、防衛機密保持の上から、内閣官房長官後藤田正晴や防衛庁幹部は消極的であった。しかし中曽根康弘は「交信記録を提供して日本の傍受能力が多少知られたとして、この場合には損はないと考えた。ソ連に対する日本の強い立場を鮮明にする好機であり、対米友好協力関係を強化する意味もあった。レーガンに知らせてやるのは、得になることはあっても、損になることはない」と考え、反対意見を押し切って提供した。 このアメリカによる正式発表を受けて、事件の当事国である日本や韓国、アメリカやフィリピンなどの西側関係諸国ではソ連に対する非難が起こり、ソ連政府に対して事実の公表を求めた。 またこの日には、北海道のオホーツク海沖合で操業していた日本の漁船が、旅客機機体の破片や遺品を発見した。これと前後して、海上保安庁やアメリカ海軍の船艇が、機体が墜落したと思われる付近に向けて、捜索に向かった。
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