撃墜成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:33 UTC 版)
定期的に成層圏(高度2万5,000メートル)飛行で領空侵犯してくるU-2に対し、ソ連防空軍はMiG-19P迎撃戦闘機などで幾度となく迎撃を行っていたが、当時のソ連の戦闘機での迎撃は高度が足らず実質的に不可能であった。 ソ連は、新型のSu-9迎撃戦闘機の完成を急ぐと共に新型の地対空ミサイルの開発も進めており、これらは共に実戦配備に就いた。撃墜されず偵察任務を成功させた飛行士の中には、キューバ危機の発端となるキューバミサイル基地を撮影したエリクソン飛行士もおり、彼がパワーズ飛行士を指導した。 そして、パリで米ソ首脳会談が開催される2週間前の1960年5月1日、パキスタン・ペシャーワルの空軍基地を離陸し、ソ連領内で偵察飛行中のU-2に対し、ソ連側がS-75地対空ミサイル(ЗРК С-75)をスヴェルドロフスク州の第1ミサイル部隊からボルノフ少佐命令で発射しこれを撃墜することに成功した。なお、この際1機のSu-9迎撃戦闘機も迎撃に上がり、アラル海上空で目視したが、相手が高高度で迎撃に失敗した。 アメリカ軍機の自国領空侵犯の報を受けやきもきしていたフルシチョフ首相は、撃墜成功の報告をモスクワ赤の広場でのメーデーパレードの開始直後に知らされた。
※この「撃墜成功」の解説は、「U-2撃墜事件」の解説の一部です。
「撃墜成功」を含む「U-2撃墜事件」の記事については、「U-2撃墜事件」の概要を参照ください。
- 撃墜成功のページへのリンク