戦闘機パイロットへの転身
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「アドリアーノ・ヴィスコンティ」の記事における「戦闘機パイロットへの転身」の解説
中尉に進級していたヴィスコンティはトレヴィーゾに基地を置く第54航空団第7航空群第76飛行隊に転属、マッキMC.200に乗ることとなり、戦闘機のパイロットに転身した。第76飛行隊ではマルタに向かう爆撃隊の護衛や、MC.200にカメラを搭載し空中偵察任務などについた。この写真偵察任務は爆撃機であるSM.79やZ.1007などが担っていたが、戦闘機を利用した偵察はマルタの敵戦闘機に対して爆撃機による偵察よりも被害が少ないことが証明され、順次置き換えていった。1942年にはMC.200よりも速度が向上しているMC.202 フォルゴーレがこの偵察任務に投入され、マルタへの写真偵察が計画された際にはたびたびヴィスコンティもMC.202で出撃した。 1942年6月15日のバンテッレリーア島攻防戦中にMC.202で出撃し、ブレニム1機を撃墜、これが初めての撃墜となった。8月13日にはスピットファイアを2機撃墜した。その後、短期間ギリシャに派遣され、1943年3月に再度MC.202を装備してチュニジアへ派遣された。 大尉に進級して第76飛行隊長になっていたヴィスコンティは、北アフリカを死守するべく苛烈な戦闘を数多くこなしていた。4月8日には2機の僚機を率いて飛行中にスピットファイア3機と遭遇、高度と位置の利を占めていたこともあり、一方的な戦いで各人が1機ずつ撃墜した。5月13日にもスピットファイア1機とP-401機を撃墜している。この戦いは枢軸軍が降伏に至るアフリカ戦最後であったが、乗機のMC.202に戦友であったフィオローニ大尉を押し込み、シチリアにたどり着くことができた。そのため捕虜にならずに済んだ数少ないパイロットとなった。 その後、ローマ東方にあるグイドニアに新設された第310撮影戦闘飛行隊の指揮官に任命された。同隊では改造を施したMC.205を使用し、8月から高速の武装偵察任務に当たった。侵攻する連合国軍の頭上を白昼にもかかわらず飛行し、写真偵察を実行、帰還できる唯一の部隊であった第310飛行隊は、9月はじめにサルデーニャに分遣隊を送り、ヴィスコンティもその一員であった。しかし、9月9日に休戦の後、命令が一切送られてこないため、MC.205の後部胴体内に3人のパイロットを乗せて乗り込み、同様にパイロットを乗せた他の2機とともにグイドニアに帰還した。
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戦闘機パイロットへの転身
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「フェルナンド・マルヴェッツィ」の記事における「戦闘機パイロットへの転身」の解説
休暇を取り帰国した後、1941年7月28日に第4航空団第9航空群第96飛行隊に転属となり、爆撃機から戦闘機のパイロットに転身した。当時の同隊はマッキ フォルゴーレに機種改変が進んでおり、それまでシュトゥーカに乗っていたマルヴェッツィはフォルゴーレに惚れ込んだ。回想によれば、高度7000mまでは空の王者であり、それより高空ではスピットファイアに分があったという。 同年11月22日にマルタ上空でハリケーンを2機撃墜し、戦闘機に乗り変わってから初めての戦果を挙げた。翌日には部隊がリビアに移動し、短期間ではあるが作戦行動を行い、激しい戦闘があった。マルヴェッツィは11月26日にP-40を1機撃墜し、12月1日にもP-40を1機撃墜している。3週間後に部隊は本国に戻った。 1942年4月、部隊は枢軸軍によるマルタへの新たな作戦のため、シチリアへ移動したが、5月にはトリポリへ、さらに6月末には遥か東方のエジプトのフカへ移動した。この間にマルヴェッツィは大尉となり、第97飛行隊の隊長となった。そして6月8日から10月20日の間にP-40を4機、スピットファイアを1機、メリーランドを1機、計6機を撃墜した。しかし、戦闘中エンジンに被弾してしまい砂浜に不時着、顔面に重傷を負ってイタリア本国に送還された。回復は早く、12月には原隊に復帰することができた。その1ヵ月後に部隊はアフリカを離れ、6月にはシチリアへ、7月にはイタリア本国と移動を重ねた。ここでマルヴェッツィはマラリアになり、療養を余儀なくされた。
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