慰安所設置と「支那渡航婦女」問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 03:11 UTC 版)
「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の記事における「慰安所設置と「支那渡航婦女」問題」の解説
1938年に入ると慰安所は続々と設置されるようになるが、これらは兵站部ないしは直轄部隊が設営ないしは指定したものであり、吉見によればこれら軍公設の慰安所の経営にも参画していたとする。 華中だけでも軍慰安所は80軒を越え、1100人以上の慰安婦が集められていたが、その多くが朝鮮人であった。 吉見によれば慰安婦の集め方には2通りのやり方があった。第一は派遣軍が占領地で女性を集める方法であり、第二は日本、朝鮮、台湾での徴集であるとし、後者については軍が自分で選定した業者を日本、朝鮮、台湾に送り込むやり方であったという。 こうしたなか、軍の依頼を受けたとする業者が活動するようになったが、その際に警察に取調べを受けると言う事案が内地で発生するようになった。「軍の依頼だ」とする業者の言い分を和歌山県や群馬県など複数の地元警察が各上位機関に問い合わせている。当初警察にとっては、業者の言うところの軍の依頼によると称する慰安婦募集は「皇軍ノ威信ヲ失墜スルモ甚シキモノ」であり信じがたいことであった。しかし公娼の募集そのものに違法性はなく、一方で1937年8月31日付の外務次官通達により厳しく制限されていた民間人の中国渡航許可制を公娼の渡航に関して緩和するよう上海日本総領事館警察署から依頼(皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件)が出されており、確かに陸軍の関係する募集であると確認するに至り、警察は内務省の指導のもとやがて受容し協力するようになったと永井和は、1996年に警察から発見された資料を元に説明している。 その後の1938年2月23日、内務大臣の決裁を経た「支那渡航婦女の取扱に関する件」が内務省警補局長から各庁府県長官宛へ通達された。その内容は、中国戦線現地での事情を鑑み、 海外の売春目的の婦女の渡航の条件は、現在内地で娼婦をしている満21歳以上で、性病や伝染病の無い者で、華北・華中に向かう者のみに当分の間黙認することとして、外務省の身分証明を発行する。 身分証明を発行するときに、始めに契約した年季明けや、営業の必要が無くなったときには、すぐに帰国するように諭すこと。 婦女本人が、警察に出頭して身分証明書の申請をすること。 承認者として、同一戸籍内の最近尊属親、それがない場合は戸主、それもないときはそれが明かであること。 身分証明書の発行前に、娼婦営業についての契約などを調査し、婦女売買や略取誘拐などがないよう特に注意すること。 婦女の募集周旋について、軍との了解や連絡があるなどのことを言う者は、厳重に取り締まること。 そのために、広告宣伝や虚偽もしくは誇大な話をする者は厳重に取り締まり、また募集周旋にあたる者がそれをしているときには、国内の正規の認可業者か、在外公館などの認可業者かを調査し、その証明書のない者は活動を認めないこと。 という7号の命令であった。さらに出されたのが当文書(軍慰安所従業婦等募集に関する件)であり、北支・中支(華北、華中)参謀長においては関係地方の警察や憲兵隊と連繋を密に取り、軍の威信保持上ならび社会問題上手抜かり(遺漏)なきよう配慮するよう通知している。 詳細は「支那渡航婦女の取扱に関する件」を参照
※この「慰安所設置と「支那渡航婦女」問題」の解説は、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の解説の一部です。
「慰安所設置と「支那渡航婦女」問題」を含む「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の記事については、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の概要を参照ください。
- 慰安所設置と「支那渡航婦女」問題のページへのリンク