慰廃園について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:13 UTC 版)
「ケート・ヤングマン」の記事における「慰廃園について」の解説
ヤングマンはハンセン病患者とはかかわりたくなかったか、ハンセン病を嫌っていた記載がある。開所当時の監督者、患者の写真はでているが、ヤングマンは写真に出てこない。本来の患者は貧しい人が多かったという。また、慰廃園では、全生園などが空きがない時に、政府委託患者を受けつけていた。それは「政患」と呼ばれていた。「政患」は9名位から50名位の時もあったが、警視庁から救済費もでている。モルヒネの流行などもあり、待遇も違うので、元々の患者と「政患」の仲はよくなかった。1942年、経営が困難となり、患者を55名は多磨全生園に引き取られた。なおその前年に熊本の回春病院も閉鎖された。
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