応急救護用電話の歴史
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1935年(昭和10年)、自動車の普及により交通事故が急増していた東京市では、警視庁消防部が現場での応急処置ならびに最寄り救急病院への搬送を目的とし、6つの消防署(丸の内、品川、麹町、大塚、荒川、城東)に救急隊を編成することを決めた。その救急車6台の購入費用は財団法人原田積善会からの寄付金によった。同年10月10日、小栗一雄警視総監より東京逓信局長に対し「応急救護用電話」の仕組みの創設が要請され、逓信省がそれに応えた。 火災や交通事故などの傷痍者救護のために救急車の出動を求める場合、自動交換式の電話では「119」を、手動交換式の場合は交換局を呼出して、単に『火事』または『救急車』と告げれば最寄りの消防官署へ無料で接続してもらえることになったのである。これは応急救護用電話と呼ばれた。 昭和10年 逓信省告示第3340号(12月29日)"火災報知又ハ応急救護電話ニ関スル件" 特に定める地域内において出火がある場合、または交通事故その他の非常事故による疾病者救護のため救急車の出動を求める場合、電話によりこれを消防官署(交通事故等による疾病者がある場合の報知は応急救護施設を併置するものに限る)に報知するときは、自動交換方式の電話機による場合は別に定める火災報知用電話番号を用い、また手動交換方式の電話機による場合は所属交換取扱局を呼出し、単に「火事」または「救急車」と告げ消防官署に接続されるのを待ってこれと通話すべし。交換取扱局において前項後段の申出を受けたときは直ちに便宜と認める消防官署に接続通話せしむ 第一項の地域は関係電話官署にこれを掲示する 大正十四年十月逓信省告示千四百四十八号はこれを廃止する 1936年(昭和11年)1月20日、警視庁消防部に救急司令を置き救護事務を開始した。救急車の導入は他所において先行例があるが、119番通報に連動させた救急隊としてはこれが日本初である。 昭和11年度中における救急隊総出動回数1,022のうち491回(48%)が交通事故によるもので、また市民からの応急救護用電話などによる要請で出動したものは総出動回数1022のうち472回(46%)もあり、さっそく電話通報システムの成果を挙げている。同年中に名古屋市、横浜市、京都市、福岡市、小倉市、戸畑市にも導入された。 市町村の条例で行なわれてきた応急救護業務が国家の法律により定められたのは、1962年(昭和37年)の消防法の改正(第35条の5)による。これにより1964年(昭和39年)4月10日以降、人口10万人以上の都市では消防本部に救急隊を置くことが義務つけられた。当時の国家消防本部と厚生省の調査では自治体の条例によって85都市が応急救護業務を行なっていたが、法改正により義務づけられた都市は105あり、そのうち20都市があらたな対応に迫られたという。
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