幼少・皇太子時代とは? わかりやすく解説

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幼少・皇太子時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)

昭和天皇」の記事における「幼少・皇太子時代」の解説

6歳だった1907年明治40年12月18日に、両親当時皇太子だった大正天皇皇太子妃だった貞明皇后)からクリスマスプレゼントとして靴下入ったおもちゃ貰っており、皇室異文化他宗教に大らかだったことがわかっている。 幼少時養育係の足立たか(のちの鈴木貫太郎総理大臣夫人)を敬慕多大な影響受けた学習院初等科時代、「尊敬する人は誰か」という教師質問対し生徒全員が「明治天皇」を挙げたのに対し、その明治天皇実の祖父に持つ裕仁親王一人だけ「源義経」を挙げた教師理由聞くと、「おじじ様のことはよく知らないが、義経公のことはたかがよく教えてくれたから」と答えたという。 昭和天皇実録1910年明治431月記述には、「午前学習院授業午後御用邸内においてジャーマン・ビリヤード、人取り、玉鬼、相撲クロックノールなど種々のお遊び」とあり、他には百人一首木登り椅子取りなどの遊びをしていた他、1917年大正6年)には「欧洲戦争将棋」との記述見える。 11歳だった1912年明治45年3月16日に、母の貞明皇后などから聞かされていたイソップ物語触発され1作目となる「海魚不平」と題した物語自作し裕仁イソップ」と名付けている。盲目ウナギ他の魚才能を羨むホウボウタイ窘める話で、「自分よりも不幸な者の在る間は身の上不平言ふな」との教訓記している。 学習院時代学友たちがお互い名字で「呼び捨て」で呼び合うことを羨ましがり、御印から「竹山たけやま)」という名字作り呼び捨てにしてもおうとした(この提案学友従ったかどうか不明)。 皇太子時代イギリス訪問したとき、ロンドン地下鉄初め乗車した。このとき改札切符駅員に渡すことを知らず切符取り上げようとした駅員もみ合いになり(駅員は、この東洋人日本皇太子だとは知らなかった)、とうとう切符渡さず改札出た。この切符記念品として保存されたという。 この外遊に際して理髪師大場秀吉随行大場裕仁親王即位後も専属理髪師として仕え続け日本史上初の「天皇理髪師となった天皇専属理髪師戦前だけで5人交代している。この大場をはじめ、昭和天皇仕えた近従は「天皇○○」と呼ばれることが多い。 皇太子時代から「英明な皇太子」として喧伝され即位へ期待高かった北海道沖縄県日本領台湾はじめ各地への行啓行っている。北海道行啓ではアイヌ丸木舟乗って出迎えた

※この「幼少・皇太子時代」の解説は、「昭和天皇」の解説の一部です。
「幼少・皇太子時代」を含む「昭和天皇」の記事については、「昭和天皇」の概要を参照ください。

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