即位へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:29 UTC 版)
「エドワード4世 (イングランド王)」の記事における「即位へ」の解説
ヨーク公位と父の王位請求権を引き継ぐことになったエドワードは急ぎ軍を召集し、ペンブルック伯ジャスパー・テューダーとウィルトシャー伯ジェームズ・バトラーが率いるランカスター軍を2月2日にモーティマーズ・クロスの戦いで打ち破るとロンドンへと兵を進めた。ランカスター軍は第二次セント・オールバンズの戦いでウォリック伯率いるヨーク軍を撃破してヘンリー6世を奪回し、ロンドンに迫るものの、兵に略奪を許したために民衆の信望を失い、ロンドン入城を拒まれてしまう。 この間にエドワードはウォリック伯と合流してロンドン市民の歓呼を受けて入城した。彼はクラーケンウェル(英語版)で開催されたヨーク派の評議会で国王に推戴され、3月4日に即位する(エドワード4世)。それから間もなく新国王とウォリック伯は北へ向かい、3月28日のタウトンの戦いで決定的な勝利を収めた。ランカスター派の王妃マーガレットと王子エドワード・オブ・ウェストミンスターはスコットランド、次いでフランスへと逃れ、ヘンリー6世は1465年に捕らえられてロンドン塔に幽閉された。
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