即位のための権威付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 03:41 UTC 版)
劉裕は皇帝に即位するに当たり、自らの皇位の権威付けをなすための取り組みを行っている。 後秦征伐にあたり彭城に立ち寄り、張良廟を修繕、そのすみやかな勇退の慎ましさの徳を讃えている。そして後秦討伐より帰還する途上で決起以前よりの協賛者であった孔靖引退のセレモニーを執り行い、「劉裕にとっての張良」を彷彿させるがごとき演出を行っている。 彭城では劉交の墳墓をも修繕、「偉大なる先祖の墓を修繕するのは、傍流の末端とはいえ子孫である自らの役目である」と、大々的に劉交の子孫であるとアピールしている。 禅譲諮問の詔勅においては、劉裕が継ぐべき皇位が漢より魏、晋を経て受け継がれるものであることを強調している。
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