即位初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:06 UTC 版)
戴冠式を終えた女王は、1953年11月から翌1954年5月に帰国するまで、半年かけて『コモンウェルス』を巡幸し、即位後の顔見世であるとともに、各国の紐帯の象徴としての役割を果たそうとした。帰国後の1954年に満80歳となったチャーチルは、翌春の引退を決意し、女王は公爵位を授けようとしたがチャーチルがこれを固辞した。 かねてから問題視されていたのが、王妹マーガレット王女の結婚問題だった。マーガレットは、父ジョージ6世の侍従武官ピーター・W・タウンゼント(英語版)大佐と恋仲で、エリザベス女王自身も妹に同情しタウンゼントにも親しみを感じていたが、十数年前の『王冠を賭けた恋』事件の記憶も残っており慎重に検討されていた。しかし1953年の戴冠式直後に大衆紙にスクープされ、さらに1955年には王室婚姻法により25歳まで君主の許可なく結婚できなかったマーガレット王女が、25歳を迎えたことで問題が再燃した結果、アンソニー・イーデン内閣は、王女から王位継承権と王族の特権(年金受給権)を剥奪することを決定し、マーガレットは同年10月30日に結婚を断念することを表明した。 1954年1月12日、ニュージーランド議会開会に臨席 1954年3月、豪ブリズベン市長主催の舞踏会にて 1954年4月、豪ココス諸島での園遊会にて 1954年4月27日、アデン植民地(英語版)にて
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