即位前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 09:39 UTC 版)
「イサキオス2世アンゲロス」の記事における「即位前まで」の解説
1156年、アンドロニコス・アンゲロスの子として生まれる。祖父はコンスタンティノス・アンゲロスで、祖母はコムネノス王朝の初代皇帝・アレクシオス1世コムネノスの娘・テオドラ・コムネナ。アレクシオス1世の曾孫にあたる(生年は1135年説もある[要出典])。同母弟にアレクシオスがいた。 当時、コムネノス王朝の第5代皇帝・アンドロニコス1世は強権的な独裁政治を行なって周囲から反感を買っていたが、アンドロニコスは徹底的に弾圧してこれを抑えた。さらにイサキオス自身もコムネノス王家の遠縁にあたるため、アンドロニコスにその存在を警戒されて暗殺されかけたこともあった。しかしこのような暴虐的な政治に遂に国民の怒りが爆発し、1185年、イサキオスを指導者に擁立した反乱軍によってアンドロニコスは虐殺された。そして、国民や貴族の支持を得たイサキオスが、皇帝として即位した。
※この「即位前まで」の解説は、「イサキオス2世アンゲロス」の解説の一部です。
「即位前まで」を含む「イサキオス2世アンゲロス」の記事については、「イサキオス2世アンゲロス」の概要を参照ください。
即位前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 15:41 UTC 版)
「アレクシオス3世アンゲロス」の記事における「即位前まで」の解説
アンドロニコス・アンゲロスの子として生まれる。兄イサキオスと同じくコムネノス王朝の遠縁に当たることから、兄と同じようにコムネノス王朝の第5代皇帝・アンドロニコス1世に暗殺されかけたことがある。このため、アンティオキアに逃亡した。ところがここでイスラム側の攻撃を受けて捕虜となってしまう。しかし兄がアンドロニコスを倒して皇帝になると、莫大な身代金を条件にして解放された。 その後は帝国の宰相・元帥に任じられて兄の治世を補佐したが、次第に兄と対立し、1195年にはクーデターを起こして兄を幽閉して廃位し、自らがアンゲロス王朝の第2代皇帝として即位した。
※この「即位前まで」の解説は、「アレクシオス3世アンゲロス」の解説の一部です。
「即位前まで」を含む「アレクシオス3世アンゲロス」の記事については、「アレクシオス3世アンゲロス」の概要を参照ください。
- 即位前までのページへのリンク