平安時代の「官奏」とは? わかりやすく解説

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平安時代の「官奏」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/11/01 21:20 UTC 版)

「太政官奏」記事における「平安時代の「官奏」」の解説

平安時代前期摂関政治導入され9世紀後半頃から、諸国からの上申文書を太政官奏上する行為を単に「官奏」と呼ぶようになった。その由来については本来の形式である奏事太政官奏)を簡略化して成立したとする説と公式令に拠らない略式奏上公式化したものとする見方がある。 清涼殿もしくは紫宸殿出御した天皇に対して太政官の職公卿奏文奏上し天皇勅裁受けた古く中納言上の公卿であれば官奏行い得たが、醍醐天皇以後には宣旨によって指名され大納言上の特定の公卿が「官奏侍者」とも称される職事公卿として専らこれを行うようになり、大臣と言えども天皇宣旨受けない限り官奏行い得なかった。 官政あるいは陣定に際して官奏が行われた。まず、陣座において奏文職事公卿確認した後に史にこれを持たせて参内させ、続いて職事公卿参内する宮中射場改めて史から奏文受け取った後に天皇御前文杖挟んだ奏文奉る天皇全ての奏文確認した後に一旦職事公卿返却する職事公卿改めて1通ず読み上げ天皇その11つ裁可与えか否か、あるいは先例勘申させるかを勅裁した。終了後職事公卿射場で史に参内時とは逆に奏文預けて陣座戻り改めて史から受け取った奏文確認の後に、勅裁結果告げながら1通ずつ史に下す。史は奏文受理して退出後に勅裁結果書いたものを蔵人付して奏し、また職事公卿大弁進めた。なお、摂政置かれている際には、摂政天皇に代わって直廬または里第において奏文を見、関白置かれている際には、天皇への奏上前に関白内覧経た官奏内容は、不堪佃田不動倉開用など、地方行政において中央の判断を仰ぐ必要のある重要な申請中心に数通から十通勅裁かけられた。だが、次第儀礼的なものとなり、重要性低下していった。それでも、除目並んで天皇の大権行為象徴として扱われ、かつてのような諸国よりの重要な申請に関する官奏稀に行われた長和4年1015年)に三条天皇眼病悪化に伴う藤原道長准摂政就任きっかけは、天皇眼病による官奏中断による地方行政停滞国司達が動揺したのがきっかけであったとされている(『小右記』)。 平安貴族にとって有職故実作法則って儀式公事滞りなく勤めることは重要視され、特に天皇御前行われる即位式官奏節会などの儀式における参仕者の振舞い注目された。特に内奏職事公卿節会内弁行動成否その後本人政治的立場にも影響与え、それは他の貴族にとっても他人事ではなかった。そのため、官奏が行われる時には官奏に関わらない大臣以下の公卿官人なども儀式妨げならない物陰から、その様子を「見物」して後日参考とすることも珍しく無かった。。

※この「平安時代の「官奏」」の解説は、「太政官奏」の解説の一部です。
「平安時代の「官奏」」を含む「太政官奏」の記事については、「太政官奏」の概要を参照ください。

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