山陰や一村暮るゝ麻畠
作 者 |
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季 語 |
麻畠 |
季 節 |
夏 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
景に対する焦点化が、蕪村の「五月雨や大河を前に家二軒」を思わせる。この句の面白さは「一村暮るゝ」という写実の中にドラマを含意することであろう。麻は人の身長より背が高く、独特の形の葉をもつ。ゆえに「麻畠」は深い陰翳を持つわけで、背景の「山陰」との対比も見事ではないか。古白は舞台のような句をつくった。 藤野古白は子規の従弟。本名は潔。別号湖白堂。明治四年愛媛県に生まれた。夭折の俳人にして劇作家、小説家。作品も少ないが本格的研究も少なく、それぞれの評価は未だ定まったものとは言えまい。東京専門学校(現早稲田大学)で坪内逍遥に師事して演劇を学び、同級に島村抱月がいた。戯曲『人柱築島由来』がある。子規に俳句を学び、句に新風があった。明治二八年四月七日、ピストル自殺を謀り、十二日死去。二五歳。虚子の『俳諧師』の登場人物「篠田水月」は古白がモデルと言われる。この年、子規は日清戦争従軍記者として大陸に渡り彼地で古白の死を知った。帰国の船中で喀血し一時重体。須磨で保養し、秋に古白の墓を弔った。弔句「我死なで汝生きもせで秋の風」。 古白の資料は少なく、掲句は改造社「現代日本文学全集38現代短歌集/現代俳句集」よりとった。掲句の他、「大阪や煙突に立つ雲の峰」「蚊柱や蚊柱や三十三間堂」「稲妻や天の一方に花の山」「凩のあとやまことに山と川」「傀儡師日暮れて帰る羅生門」「洛陽の灯おびたゞしき師走かな」「八月や月になる夜を寝てしまひ」など。そこはかとなく滑稽味と醒めた視点が同居するが、冒頭に書いたように、俳句のなかに豊かな物語性を読み込む質の作家だったようだ。あるいは、実景の中に実景以上のドラマを見る質、というべきか。生きて、映画監督になるべき人だったかも知れない。 季語の「麻畠」は、いまの日本で普通に見ることは難しい。もちろん筆者も写真でしか見たことがない。再評価が進んでいると言うが、現状は栃木県でわずかに「野州麻」が栽培されている他、全国でピンポイントに細々栽培されている程度らしい。となれば麻畑の景も、そこにある陰翳や風のざわめきや香りが共有されない以上、いずれは消えゆく定めか。 |
評 者 |
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備 考 |
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