古白の死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 06:10 UTC 版)
河東碧梧桐の『子規を語る』には「古白の死」の一章が設けられ、古白の自殺前後の周辺の事情が回想されている。古白はよく死を口にしたが、その前日まで変事を予想させるようなことはなかった。以前から古白は知人がピストルをもっているのを聞いていて撃ちたがっていたが知人はそれを許さなかった。自殺の前日の夜、銃を盗みだし、4月7日に前頭部、後頭部を撃った。病院に運ばれ、治療をうけるが4月12日に死亡した。内藤鳴雪や虚子、碧梧桐らが看護にあたったが言葉をきける状態ではなかった。当時子規は日清戦争の従軍記者として広島で出発を待っている時であった。「風が吹く仏来給ふけはひあり」という虚子の句は、その年の8月、古白旧居に住むこととなった虚子が、盆近いこの時期に古白追悼の運座を開いた際の一句である。
※この「古白の死」の解説は、「藤野古白」の解説の一部です。
「古白の死」を含む「藤野古白」の記事については、「藤野古白」の概要を参照ください。
- 古白の死のページへのリンク