古着商『高島屋』開店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:48 UTC 版)
新七は翌文政12年2月27日(1829年3月31日)米屋高島屋の隣に分家と言う形で家を構え、天保元年12月10日(1831年1月23日)家の西側北より3軒目泉屋利助の貸家に移り、翌天保2年正月10日(1831年2月22日)に同所にて古着並びに木綿商を営む『高島屋』を開業した、商標は現代の高島屋同様『丸に高の字』が用いられた。 店開店に資金を使い果たし商品購入が出来なかった時、妻「秀」が自分の婚礼衣装を売り物にするよう申し出た。婚礼衣装を飾ったところ店に客が来るようになった。結局この衣装を売ることはなかったが、客の意向を追い求め、新七の開店時期は天明の大飢饉から水野忠邦による天保の改革へ繋がる時代で、質素倹約を求められていたことから新しい着物より古着を求める人が多く、新七は古着商を営むことにした。また、開店して間もなく隣に同じような店ができた時、新七は隣との違いを作るために「誰よりも早く店を開ける」「朝早く起きたならば自分の店だけでなく近所中も清掃をする」ことを始めた。これは「早起きで働き者の店」との評判を得ることになり、開店間もない『高島屋』の信用となった。
※この「古着商『高島屋』開店」の解説は、「飯田新七」の解説の一部です。
「古着商『高島屋』開店」を含む「飯田新七」の記事については、「飯田新七」の概要を参照ください。
- 古着商『高島屋』開店のページへのリンク