山姥の正体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 17:10 UTC 版)
このような両義性を持った山姥の原型は、山間を生活の場とする人たちであるとも、山の神に仕える巫女が妖怪化していったものとも考えられている。土地によっては「山姥の洗濯日」と呼ぶ、水を使ってはいけないとか、洗濯をしてはいけないとする日があり、例えば北九州地方では、「山姥の洗濯日」は暮れの13日または20日とされ、この日は必ず雨が降るため洗濯をしないという風習が残っている。これはおそらく、雨を司る山神の巫女の禊の日であったものの名残りである。また『遠野物語』には、狂人、山の神に娶られる者、あるいは山人に攫われる者といった、山隠れする女が山姥になったという話が伝えられており、出産のために女性が入山する習俗や、村落の祭にあたって選ばれた女性が山にこもるという、山岳信仰の習俗の名残りも認められる。上述のように、山姥は人を食う恐ろしい鬼女の性格の背理として、柔和で母性的な一面も伝えられ、足柄山の金太郎を始め、多くの神童、若子の母でもあった。長野県飯田市上村程野の伝説では、猟に出た山神の兄弟がお産に苦しむ山姥に出会うが、長兄オホヤマツミノミコトがこれを助け、7万8000の子を産み、彼に猟運を授けた。山の中で出産に苦しむ山神や山姥、女に出会い、それを助けた人間が福をもたらされるという伝承は全国各地にいろいろな形で伝えられるが、同様に、女神たる山神も、多産、また難産であることが知られている。長野県飯田市上村下栗では、一度に75人の子を産むという山神や、徳島県では一度男の肌に触れただけで8万近くの子を妊娠した山神などがいる。宮崎県の1,200人の子を出産する山の女神また徳島や高知の昔話によると、山神の妻になった乙姫は一度に404人あるいは9万9000もの子を産んだと伝えられている。このように、非常に妊娠しやすいという特徴、異常な多産と難産であるという資質は、元来、山の神の性格であり、山姥が、山岳信仰における神霊にその起源を持つことを示している。 山姥の産霊神的な特質を挙げるものとして、山姥の惨死した死体からは、様々なものが発生するという話がある。例えば『牛方山姥』では、殺された山姥の死体が、薬、金などの貴重なものとなって牛方を金持ちにしており、また山姥の大便や乳が、錦や糸などの貴重な宝物や、不思議な力を持つ品になったという話もある。『古事記』に登場するオホゲツヒメは、鼻、口、尻から食物を出し、自らの死体から蚕や稲、粟など作物を生じさせ、イザナミも火の神を産んだために死ぬが、死の前に排泄物から金鉱の神、粘土の神、水の神、食物の親神を産んでいる。しかしながら、イザナミの境遇にも明らかなように、母性を持った産霊神的な性格を持つ霊は、冷遇される傾向にある。古来神話は色々な勢力の伝承神話を融合したものであり、反発しあう勢力の神が1つの神話にまとめられると、敵対する勢力の神を部分的ではあるがあまり良くは伝えようとしないが、これは古事記にもすでに見られる現象である。『三枚の御札』は、小僧が山姥に追いかけられ、山姥に向かって投げた御札が川や山などの障害物を出すという話だが、この構造はイザナギが黄泉の国でイザナミの姿を見てしまい、追いかけられて逃げ帰るという神話をベースにしており、地母神の劣化が山姥という妖怪の本源と考えてよい。イザナミは難産死をしてしまい、それが出雲と伯耆の国境の比婆山に葬られたと古事記には記されているが、この「比婆山」が山姥の語源という指摘がある。産鉄の神、金屋子神もこういった女神を冷遇するような話が一部にあり、美形の顔立ちではないことから女性を嫌い、たたら場(古代製鉄場)を女人禁制としたとある。「山の神」という既婚女性の別称も、このような説話の名残であると考えられる。 また、謡曲『安達原』の「黒塚」、諏訪千本松原の「舌長姥」なども山姥の一種である。
※この「山姥の正体」の解説は、「山姥」の解説の一部です。
「山姥の正体」を含む「山姥」の記事については、「山姥」の概要を参照ください。
- 山姥の正体のページへのリンク