少女スター誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:37 UTC 版)
「シャーリー・テンプル」の記事における「少女スター誕生」の解説
シャーリー・テンプルの映画の題名については混乱を避けるため、現在販売されているDVDのタイトル他もっとも一般的なものに合わせて記しておく。もちろんウィキペディアの日本語版では『小聯隊長』『テムプルの愛国者』など、戦前公開時の表記を当てるものもある。日本で公開されたときの題名はシャーリー・テンプルの出演作品を参照。 1932年から1933年にかけて出演した短編映画はユニバーサル映画社の下請けだったエデュケーショナル社(英語 Educational Pictures)が製作した喜劇のシリーズで、幼児だけが登場する「ベビー・バーレスク」(Baby Burlesks)やManaged Money(1934年・日本未公開)等、十本を超える。 フォックス・フィルム社(20世紀フォックス社の前身)に見出されると1933年に7年契約を結び『歓呼の嵐』に出演、準主役だが高い評価を受ける。次にパラマウント映画社に貸し出されて『可愛いマーカちゃん』の主役をつとめ、一夜にしてアメリカを熱狂させた。さらに『ベビイお目見得』も主演、この作品を見たフランクリン・ルーズベルト大統領は定期的に行うラジオ演説「炉辺談話」で「大不況のさなか、わが国民が映画で見るシャーリー・テンプルの笑顔に励まされ苦労を忘れることは素晴らしい」と全国民に向けて述べている。 6歳にしてフォックス・フィルム社の看板女優になったばかりでなく、映画会社の予測をはるかに超え、たちまちアメリカ映画界で最も人気のあるスターの座へとのぼりつめる。一連の作品の成功は大恐慌下のメジャースタジオだったフォックス・フィルム社を倒産から救い、『輝く瞳』から『小連隊長』(1935年)へと次つぎヒット作が生まれた。 シャーリーのもち味は、きまじめで勤勉な性格である。映画の出演が決まると撮影が始まる前に必ず台本に載った登場人物全員の台詞を暗記し、台本には書き込みやマーク等は一切しない。決してNGを出さず一回の撮影で監督を満足させたことから、ジョン・フォードに「一回撮りのシャーリー」("One-take Shirley") とほめられるほどだった。決して遅刻をせず予定より少し早めにセットに入るきちょうめんさは成人してもそのままで、終生、時間に正確だった。 アメリカの国立機関ケネディ・センターは次のようにたたえている。 「シャーリー・テンプルには最初から映画のカメラに愛されるなにかがあった。輝く瞳に巻き毛、魔法のような存在感と溢れる魅力――そして驚くべき才能である。」 1930年代の5、6歳の子役で大人のプロダンサーでも難しいステップを楽々と踊り、正確な音程とリズムで難しい曲を歌い、気難しい批評家すら唸らせる絶妙な間合いで台詞が言えて自然な演技が出来る者は、彼女しかいなかったといえよう。映画監督のデイヴィッド・バトラーが「あの子と話をした者はみんな人柄に感動した」と語ったとおり、生まれつき人々を惹きつけ相手の心を明るくしてしまう強い魅力がシャーリーにはあり、どんな時でも快活で不機嫌そうにしたりすねたりグズったりしたことはない。1930年代に「世界最高のタップ・ダンサー」と言われた俳優ビル・ボージャングル・ロビンソンは、「神様はシャーリーを唯一無二の存在として創られた。あの子に続く者は二度と現れないであろう」と述べている。
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