小聖遷とは? わかりやすく解説

小聖遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:03 UTC 版)

イラン立憲革命」の記事における「小聖遷」の解説

1900年以降商人らは厳し関税取立反対表明し街頭で抗議繰り返していた。1904年日露戦争が起こると、商人らの状況ロシアからの輸入激減により著しく悪化し同時にテヘラン物価高騰していた。1905年12月12日中でも高騰著し砂糖について、テヘラン太守アラーオッドウレは強権的手法による価格引き下げ狙い退蔵疑い砂糖商人2名を杖刑処した。 ここに至って不満は爆発した。翌12月13日群衆商人との共闘一致をみた高位ウラマー2人、アブドッラー・ベフバハーニとモハンマド・タバータバーイーに率いられ王のモスク集合した人気のハティーブ(英語版)・ジャマーロッディーン・ヴァーエズ・エスファハーニーによる激し反政府演説などが行われた。しかし、ここでは太守の兵と王のモスク導師保守派ウラマーのハーッジー・ミールザー・アボルガーセムとその支持者によって追い散らされてしまった。ベフバハーニーとタバータバーイー2日後テヘラン南郊シャー・アブドルアズィーム廟でのバストモスクなどのアジール地に入ることで、文字通りには「避難」のこと)を敢行した。このとき集団はおよそ2000人、商人仲買人低位ウラマーらを中心とする群衆で、同時にさらに多く商人らがバーザール閉鎖。ただし合流王兵阻止されて叶わなかった。 バストはこれ以降1906年1月13日までの28日間にわたった。これは一見すれば改革派宗教学者による正義憤りと、群衆異議申し立てであったたしかに処罰され砂糖商人セイイェド預言者ムハンマド後裔であったことや老齢であったことが宗教的な憤激を誘うなどの面があった。しかし、政府威喝賄賂による懐柔はねのけ長期にわたる抗議続けえた背景には、バーザール商人財力同時に宮廷内の反エイノッドウレ派、すなわち職を追われた前大宰相アミーノッソルターンら、そしてエイノッドウレの反動的政策に不満を持つ改革派官僚らである。彼らは反大宰相一点において一致しバストした人びと支援したであったバストした人びとへの揺さぶり失敗すると、エイノッドウレ政府交渉姿勢転じバスト解除条件提示求めた。これに対しタバータバーイーらは、テヘラン太守罷免はじめとする箇条リスト作成交渉のなかで本来の目的である大宰相エイノッドウレと税関長ノウス罷免、さらに「アダーラト・ハーネ」(公正の家)設立加えられた。しかしこれは当然、政府容れるところとはならず数度交渉が行われた。その結果大宰相ノウス罷免撤回するかわりに「アダーラト・ハーネ」(公正の家)設置政府受け入れることとなり、1906年1月9日交渉妥結したのである。 ここで焦点となる「アダーラト・ハーネ」の実態明らかになっていない用語として19世紀後半司法改革現れており、この文脈では、フランス国務院淵源を持つ制度、すなわち地方太守恣意的行政排するための行政法であって中央集権政策一環となる制度ということになる。一方で同じく19世紀後半地方における都市民、部族民、地方政府紛争の中で設置され利害調整のための協議機関影響を受けたものと見ることもできる。これは要求リスト含まれる公平なシャリーア実施」を担保し、政府太守恣意性抑制するための機関考え得るためである。いずれにせよバストした人々にとって「アダーラト・ハーネ」は大宰相罷免撤回するほどの重要性帯びた機関であった交渉妥結の翌1月10日にモザファロッディーン・シャーとアターバク・大宰相エイノッドウレの名によって「シャリーア遍く公平かつ臣民安寧を保つアダーラト・ハーネ」設立勅書下された13日ウラマー率いられ人々テヘラン帰還した熱烈な歓迎受けたのである。このバストイラン立憲革命文脈では、預言者ムハンマドメッカからメディナへの移動すなわち聖遷擬して、「小聖遷」と呼ぶ。

※この「小聖遷」の解説は、「イラン立憲革命」の解説の一部です。
「小聖遷」を含む「イラン立憲革命」の記事については、「イラン立憲革命」の概要を参照ください。

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