将軍就任と幕府再興とは? わかりやすく解説

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将軍就任と幕府再興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 18:30 UTC 版)

足利義昭」の記事における「将軍就任と幕府再興」の解説

10月18日義昭朝廷から将軍宣下受けて室町幕府第15代将軍就任した同時に従四位下、参議左近衛権中将にも昇叙任官された。 10月24日義昭信長最大功労者として認め、「天下武勇第一」と称えるとともに足利家家紋である桐紋二引両の使用許可したまた、幕閣協議した末、信長に「室町殿御父むろまちどのおんちち)」の称号与えて報いた義昭信長に対して宛てた10月24日自筆感状では、「御父織田弾正忠信長)殿」と宛て名したことは、ことに有名である。 さらに、信長信長武功対し、その褒賞として高い栄典授けようとしたが、信長はそのほとんどを謝絶し斯波氏家督管領(または管領代)の地位も、副将軍への任命もうけなかった。結局信長弾正忠への正式な叙任桐紋二引両の使用許可のみを受け取ったまた、信長は堺・草津大津自身直轄地とすることを求めていることから、虚名より実利選択した考えられる将軍就任した義昭上洛戦での論功行賞行い所領宛行守護補任行った摂津では、池田城主の池田勝正伊丹城主の伊丹親興本領安堵しさらには和田惟政芥川山城与え、彼ら3人を守護補任し、摂津三守護とした。河内では、高屋城主の畠山高政若江城主の三好義継を、それぞれ半国守護とした。大和では、多聞山城主の松永久秀一国支配委ねられた。山城では、山岡景友守護補任した。これらの守護補任三好氏による京都侵攻阻止するため、軍事的に非常に大きな意味を持った義昭二条昭実二条晴良嫡子)らに自身偏諱与えたほか、領地安堵し政権安定計った幕府治世実務には、兄の義輝同じく摂津晴門政所執事起用し義昭行動供にしていた奉行衆職務復帰して幕府機能再興したまた、義昭伊勢氏当主も義栄に出仕した伊勢貞為廃し、弟の貞興に代えさせて仕えさせた。また、当時の記録(『言継卿記』・『細川両家記』など)には、義昭期の奉公衆として三淵藤英細川藤孝和田惟政上野秀政曽我助乗伊丹親興池田勝正の名前が確認できる。さらに、兄の義輝持っていた山城の御料所掌握したこのように幕府再興見て島津義久喜入季久上洛させて黄金100両を献上して祝意表したほか、相良義陽毛利元就らも料所進上行っている。 11月義昭近衛前久を、兄・義輝殺害及び足利義栄将軍襲職便宜働いた容疑追放し二条晴良関白復職させた。他方近衛家義昭生母であった慶寿院以来将軍御台所輩出してきたが、前久追放による関係の冷却化によって正室迎えることが出来なくなった

※この「将軍就任と幕府再興」の解説は、「足利義昭」の解説の一部です。
「将軍就任と幕府再興」を含む「足利義昭」の記事については、「足利義昭」の概要を参照ください。

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