将軍就任以前
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文政7年(1824年)4月8日、第12代征夷大将軍・徳川家慶の四男として江戸城で生まれる。第11代征夷大将軍・徳川家斉は祖父、徳川治済は曽祖父、徳川宗尹は高祖父にあたる。徳川宗尹の玄孫、徳川治済の曽孫、第11代征夷大将軍・徳川家斉の孫にあたる。家慶は14男13女を儲けたが、成人まで生き残ったのは家定だけであった。しかし家定も幼少の頃から病弱で、人前に出ることを極端に嫌った。 天保12年(1841年)に大御所・徳川家斉(第11代将軍。家定の祖父)の死後、(第12代将軍・家慶の)世嗣となる。しかし家慶は、家定の継嗣としての器量を心配して、一橋家の徳川慶喜を将軍継嗣にしようと考えたほどである。だが、老中・阿部正弘らが反対したため、結局は家定を将軍継嗣とした。 黒船来航の19日後にあたる嘉永6年6月22日(1853年7月27日)、家慶が病死したことを受け家定は第13代将軍となった。
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