将軍家重の疑念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 16:44 UTC 版)
郡上一揆の件で目安箱への箱訴が行われ、吟味が開始される中、宝暦8年6月11日(1758年7月15日)には郡上藩預地の石徹白で続いていた石徹白騒動についても箱訴が行われた。石徹白騒動の箱訴は宝暦8年7月2日(1758年8月5日)、宝暦8年7月21日(1758年8月24日)と繰り返し行われ、3回目の箱訴が受理されて吟味が開始されることになった。 郡上藩絡みの箱訴が繰り返される中、将軍家重はこれらの事件の背後に幕府要人の関与があるのではないかとの疑いを抱く。もともと郡上一揆に関する駕籠訴における吟味でも、郡上藩の年貢徴収法改正に幕府役人である美濃郡代が介入したことに関して幕府勘定奉行の大橋親義らの関与が疑われており、大橋はもみ消し工作に奔走していた。そして駕籠訴の吟味が中断状態になった後も、大橋は勘定所内の吟味で事情聴取を受け、箱訴受理後の宝暦8年(1758年)5月、7月と更なる尋問を受けていた。また将軍直属の御庭番からも郡上一揆における幕府要人関与の情報が上げられていたとも推察される。 情報を把握した家重は、郡上一揆に幕府要人の関与があったとの確証を抱くに至った。将軍の疑いはこれまでなかなか進まなかった郡上一揆の裁判を徹底審理する方向へと導いた。また郡上藩絡みのもう1つの大事件であった石徹白騒動についてもやはり幕府要人の関与が疑われたため、郡上一揆とともに評定所御詮議懸りによる本格的な吟味が行われることになる。
※この「将軍家重の疑念」の解説は、「郡上一揆」の解説の一部です。
「将軍家重の疑念」を含む「郡上一揆」の記事については、「郡上一揆」の概要を参照ください。
- 将軍家重の疑念のページへのリンク