宇宙論の歴史
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詳細は「宇宙論」を参照 「地球平面説」、「天動説」、「地動説」、「蓋天説」、「渾天説」、および「宣夜説」も参照 宇宙について説明するにあたり、まず人類がどのように宇宙の理解を深めてきたか、おおまかな流れを解説する。 宇宙がいかに始まったかについての議論は宗教や哲学上の問題として語られて続けている。宇宙に関する説・研究などは宇宙論と呼ばれている。古代インドのヴェーダでは無からの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論があった。古代ギリシャではヘシオドスの『神統記』に宇宙の根源のカオスがあったとする記述があったが、ピタゴラス学派は宇宙をコスモスと見なし、天文現象の背後にひそむ数的な秩序を説明することを追究した。秩序の説明の追究は、やがてエウドクソスによる、地球を27の層からなる天球が囲んでいる、とする説へとつながり、それはまたアリストテレスへの説へと継承された。 2世紀ころのクラウディオス・プトレマイオスは『アルマゲスト』において、天球上における天体の動き(軌道)の数学的な分析を解説した。これによって天動説は大成され、ヨーロッパ中世においてもアリストテレスの説に基づいて宇宙は説明された。しかし天球を用いた天体の説明は、その精緻化とともに、そこにおける天球の数が増えていき、非常に複雑なものとなっていった。こうした状況に対し、ニコラウス・コペルニクスは従来の地球を中心とする説(地球中心説)に対して、太陽中心説を唱えた。この太陽中心説(地動説)は、当初は惑星軌道が楕円を描いていることが知られていなかったために周転円を用いた天動説よりも精度が低いものであったが、やがてヨハネス・ケプラーによる楕円軌道の発見などにより地動説の精度が増していき、天動説に代わって中心的な学説となった。宇宙は始まりも終わりも無い同じ状態であるものとアイザック・ニュートンは考え、『自然哲学の数学的諸原理』の第3巻「世界の体系について」において、宇宙の数学的な構造を提示し、地球上の物体の運動も天体の運動も万有引力を導入すれば統一的に説明できることを示した。ニュートンがこうした理論体系を構築した背景には神学的な意図があったとも指摘されている。ニュートンはまた同著でユークリッド幾何学に基づいて時空を定義し、絶対空間および絶対時間という概念を導入した。 科学的な分析が始まった20世紀初頭でも科学者も含めてほとんどの人は宇宙は静的だと見なしていた。20世紀になりアルベルト・アインシュタインにより絶対時間・絶対空間を否定し、宇宙の不安定なモデル(宇宙方程式)が提示され、1927年にジョルジュ・ルメートルが今日ビッグバン理論として知られる説を提唱した。ルメートルの説は1929年にエドウィン・ハッブルが観測した銀河の赤方偏移によって支持された。「ビッグバン」の名称は、ルメートルの非定常な宇宙説に反対の立場を取ったフレッド・ホイルの発言に由来する。今日ではビッグバン理論は多くの宇宙論の研究者によって支持され「標準的宇宙論モデル」を構成する要素になっている。 「現代宇宙論」も参照
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